オくしている。しかし心を深く省みれば、二つのものにはみずから位の差が付いている。善は君たるの品位を備えて臨んでいる。さながら幼い皇帝が逆臣の群れに囲まれているにも似ている。私たちの魂にはある品位がある。落ちぶれてはいても名門の種というような気がする。昔は天国にいたのが、悪魔に誘われて今は地上に堕ちているというのはよくこの気持ちを説明している。私たちは堕ちたる神の子である。心の底には天国の俤《おもかげ》のおぼろなる思い出が残っている。それはふるさとを慕うようなあくがれの気持ちとなって現われる。私たちが地上の悲しみに濡れて天に輝く星をながめるとき私たちの魂は天津ふるさとへのゼーンズフトを感じないであろうか? 私は私たちの魂がこの悪の重荷から一生脱することができないのはなぜであろうかと考えるとき、それは課せられたる刑罰であるという、トルストイやストリンドベルヒらの思想が、今までの思想の内では最も私を満足させる。その他の考え方では天に対する怨嗟《えんさ》と不合理の感じから医《い》せられることはできない。「ああ私は私が知らない昔悪いことをしたのだ、その報いだ」こう思うと、みずから跪《ひざまず》か
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