「って、金を贈ったり、見舞いに来たりすることは、その人の自由ではない。いわんや「私はあなたを恋します」といって見知りもせぬ女に艶書《えんしょ》を贈り、それで何ものかを与えたごとく考え、その女が応じなかった場合には立腹するようなことは、最も理由の無いことである。私たちは温かな愛があっても、それを受けいれない人に、その表現を押しつけることはできない。かくいろいろと考えて見れば、私たちの愛の実際的効果というものは、じつに微弱なものである。ただ幸あれかしと祈ることのみ自由である。また愛はその本来の性質上、制限を超え、差別を消してつつむ心の働きである。程度と種族とを知らぬ霊的活働である。しかるに私たちの物を識る力は、時間と空間とに縛られている。時が隔たれば忘却し処が異なれば疎《うと》くならざるを得ない。死んだ啄木の歌に、「Yといふ字日記の方々に見ゆ、Yとはあの人のことなりしかな」というのがあるが、私たちはやむをえぬ制限から、そのようになってゆく。なにもかも過ぎて行く、けれどふと折に触れて思い出すとき、たまらない気がすることがある。そのようなときに私たちが祈り得たならば、いかに心ゆくことであろう。
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