るよりも離れる方がむしろ愛にかなう道であるとすら考えられる。自分たちは多くの人々と接近しているときには不愉快になって脱れたくなるけれども、離れていると人懐かしくなる。人々の群れに近づいて常に不平と嫌悪との心で交わっているよりも、離れてみずからをソリチュードに置き、人懐かしい心で、常に愛と平和とを胸に宿している方がより優れた生活法ではないであろうか。ましてトマス・ア・ケンピスのごとく祈りのみが真の愛であると考えている者は離れて心を愛にみたし、霊魂の平和を保ち、はるかに祝福を人々に送りつつ「神よなんじのみ愛の実際的効果を生む力を持ちたもう。願わくば人々を恵みたまえ」と真心こめて祈る方がかえって愛に適う道ではあるまいか。巷《ちまた》に出でて万人と交わり道を説くことは自信ある人にできることであろう。しかしあたかも癩病人《らいびょうにん》の醜き身体を衆人から隠すごとくに自分の汚れた魂を他人から遠ざけることはふさわしき Humility ではないであろうか。みずから高きに居して群生を軽侮する隠遁はエゴイスチッシュであるかもしれないが後悔と羞恥とに満ちたハンブルな心ではるかに祝福を神に祈り求めつつ
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