覚を擽《くすぐ》りて、いかにわれをして試みんとする春の旅の楽しきを思わしめしよ。わが友よ、御身と逢うの日は近く迫り来れり。わが心は常に哲学を思い、御身を慕えり。じつにわれらの間の友情はかの熱愛せる男女の恋にも勝《まさ》りていかに纏綿として離れがたく、純乎として清きよ。夜半夢破れて枕に通う春雨の音に東都の春の濃《こま》やかなるを忍ぶとき、御身恋しの心は滲《にじ》むがごとくに湧き出ずるなり。今宵月白し。花紅き籬《まがき》のほとり、行人の声いと懐し。

 大船で訣《わか》れるとき、訣れの言葉をも交さず、またお互いに訣れるのだということも知らないで訣れるのなら好いと思った。しかし君と僕とはきまりの悪い、辛そうな顔して訣れた。汽車がゆるゆる動き出す。君が窓に肱杖突いてこちらを見てる。僕がときどき後を振り向く。そのたびごとに君の姿が遠く小さくなる。そのうち君と僕とは全く訣れてしまったのである。手持無沙汰に、あの麦藁帽子を被って、あのマントとあの袋とを携えて、プラットホームの一隅に四十分もつくねんとしていた僕の姿をば、三日前の夕暮れには共に暢々《のびのび》して眺めた風景にこのたびは君一人で面接しなが
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