ネく、人間性の純なる念願の満たされざる悲哀に浄化されている。愛と運命との悲哀である。もはや私一個の悲哀でなく、人間のものとしての悲哀である」と。そして自分の悲しみが、かくのごとく、個性にはなれて普遍的なものになってゆくに従って、それは両親にはますます縁遠いものになる。それが理解されないで、手近のもので自分を慰めようとするのは無理のないことである。それだからといって淋しいのは淋しい。この間も自分がただ独り悲しみに浸っていたとき、母が来て、「おまえも淋しかろうからお嫁を持て」と勧めて行った。自分は後で深い寂寞に襲われた。これは自分のいちばん悲しいところに触れる問題であったからだ。自分は母の自分の心を汲むことの浅いのに腹立たしくなりさえした。自分は母からすすめられるまでもなく、嫁は持ちたかったのだ。けれどそれができなかったのだ。それは母は熟知しているはずである。自分の結婚問題が惨めに失敗したとき、両親のあきらめ方はまことに呑気なものであった。どうにかして彼女を嫁に貰ってやろうと骨を折ってはくれないで、すぐにあきらめさせてやろうとした。自分の結婚問題には気乗りがしなかったのだ。そしてそのことが
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