齊ゥ身にはけっして悪しくない欲望をも隣人のためには捨てよと迫る。そのとき十字架は最も重い。ただ道徳的命令だけを除いて、すべての他のものは恋も、芸術も、科学も、ことごとく十字架の内容となり得るのである。ただ一人の隣人をでも徹底的に愛してみよ。その十字架はじつにかぎりがない。キリストは万人の個々のものに血を与えたのである。何もかも皆捨てたのである。「淋しきヨハンネス」の母親が、「この子の若いときには世のなかに貧しい人のいる間は学問などするものではないといって、何もかも売るといって困らせました」というのを読んで私は深く感動した。このような心持ちを一度も感じない人は愛の名によって芸術などに従う資格はないと思う。せめて愛の名によらず芸術に従うがよい。私が別府の温泉の三階の欄干にすがっていたとき、足下の往来を見ていたら、小さい女の子供が三人鼓を打って流して歩いた。私が気まぐれに、「あれを呼び入れて何かやらせましょう、慈善になるから」と言ったら、私の知人は「慈善になるからというのはよしてください。おもしろいからやらせましょう」と言った。私はそのとき穴へも入りたいほど羞《はず》かしかった。世の中には美
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