潟Xトの同情すべき弱点である。しかもその弱点が多大な犠牲となったときにそれは人格的な涙に価する。けだしイデアリストにとっては実生活があまりに貧弱なるがゆえに、自己の内面に宿る偉大なる感情を盛る材料がない。それゆえに木の片、石の塊をも捕えて、これに理想を盛りあげようとする偶像崇拝が成立する。それは滑稽《こっけい》な悲劇をもって終わるに決まっている。私はこのトラギコメディを抱いて涙を垂れる。私は表現の権威につきては十分注意したつもりであった。表現の価値を批判しつつ、みずからも言い女の言をも聞いた気であった。しかしなんといっても私が魯《おろ》かにして稚《おさな》かったに相違ない。「あなたはそう思います。けれどもあなたはそうしません」といったショウの冷譏《れいき》の前に私の幼稚を赤面するほかはない。思えば「異性の内に自己を見いださんとする心」はそら恐ろしき表現にみちている。「女に死を肯定せしめた」と誇った私は、別るるに臨んでの私の健康の祈りさえも得ることはできなかった。冷淡ないやな手紙が一片私の手に残った。そして癒えざる病がともに残った。
そればかりではない。私の悩みは私が自己に敗れんとする
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