る女(真理)に恋慕してるのだ。なるほど対手《あいて》の顔はまだ見ない。しかし彼女はきっと美しい崇《とうと》い顔を持ってるに違いない。まだ見ぬ恋の楽しさを君は知るまい。私の恋が片思いに終わるとは断言できまい。今に彼女は必ず私に靡《なび》くよ。白い雲の上で私を呼んでいる彼女の優しい上品な声が聞こえるような気がする。考えてもみたまえ。互いに胸を打ち明けてからもおもしろかろうが、打ち明けぬうちも捨てがたいではないか。私はいかにしても思い切る気はない」

 君、僕はこんなことを考えて沮喪する心を励ましているのだよ。いつもの話だがどうもわが校には話せる奴《やつ》がいない。O市の天地において僕は孤独の地位に立ってる。から騒ぎ騒ぐ野次馬、安価なる信仰家、単純なる心の尊敬すべき凡骨、神経の鋭敏と官能のデリカシイとに鼻|蠢《うごめ》かす歯の浮くような文芸家はいるが、人生に対する透徹なる批判と、纏綿《てんめん》たる執着と、真摯《しんし》なる態度とを持して真剣に人生の愛着者たらんと欲する人は無い。例の瘰癧《るいれき》のO君とはただ文学上において話せるのみだ。彼は根本的思索には心が向かっていない。彼は考えずして
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