ェいかばかり力と熱と光とを生命の底より発せしめ得るであろうかを疑った。西田氏は熱心なる「愛の哲学者」である。その氏はしかも愛を骨子とする宗教論のなかに「本質を異にせるものの相互の関係は利己心の外に成り立つことはできないのである」といってる。私は自己存在に実在的に醒めたる個人が、他人の存在を徹底的に肯定するときにのみ、まことの力ある愛は生ずるであろうと思った。しかしながら私はいかにして他人の存在を肯定することができたであろうか。私はいかにして私が自己の存在を肯定するごとく、確実に、自明に、生き生きとした姿において他人の存在を認識することができたであろうか。そして自他の生命の間に通う本質的関係あることを認めることができたであろうか。私は思い悩んだ。そしてこれらのことは唯我論の基礎の上に立ってはとうてい不可能な望みであることを感ぜずにはいられなかった。そこで私は唯我論に私のできるだけ周到な吟味と批判とを加えてもみた。けれども私はどうしても唯心論の帰着点を唯我論に見いだすほかはなかった。そしてその立場より対人関係の問題を覗《のぞ》くとき、究極は個人主義を透して、極端なる利己主義に終わらざるを得
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