驍ノ痩《や》せた。自己の生命を痛感した私が一たび自己以外のものの生命の存在に感触して以来、この問題は一日も私の頭を去らなかった。常に重苦しくもたれかかって私を圧迫した。私はこの問題を徹底的に解釈しなくては思い切った生き方はどうしてもできないと思った。私は力強い全人格的の態度がとれなかった。私の行動はすべて曖昧《あいまい》に、不鮮明であった。あらゆる行為が否定と肯定との間を動揺した。
私はこの生温《なまぬる》き生き方が苦しくてならなかった。私は実際この問題をどうにかせねばならないと思った。
私はこの生命と生命との交渉、魂と魂との接触は宇宙における厳粛なる偉大なる事実に相違ないと思った。この問題に奥深く底の底まで頭を突ッ込むとき、そこに必ず私らの全身を顫動《せんどう》せしめるほどの価値に触れることができるだろうと思った。
その頃から私は哲学を私の生活から放さなかった。私は確乎として動かざるの上に私の生活を築きあげたいと思っていた。かくて私は哲学的に自他の生命の交渉、関係について考えてみなければならなかった。
私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在はただちに
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