も得しない人々の姓名だけを帳面に書いておいて、それを仏壇に供えて、朝夕念仏することによって、一括めにそれらの人々を回向《えこう》したらとさえも思う。それはけっして十束一とからげな、事務的な気持ちからではなく、人間に与えられている制限に抵抗しようとする、真心からの愛の勤行としてもなし得ると私は信ずる。その意味において、人間の奉仕はついにいのりとならなくてはならないと思われる。神の名によって祝福を人類の上に招き寄せ、あるいは親鸞の「急ぎ仏となりて心のままに衆生を助けとりたし」という気持ちとならないではいられない気がする。自分は千手千眼観自在菩薩の画像を眺めて、自分がいつも感じているこれらの想念を新しく刺激されたのである。そして微妙の身体を有するこの瓔珞《ようらく》を戴ける像の前に跪かないではいられない気がする。そして人身の悲哀と彼岸の思慕とを感ぜずにはいられない。自分は自分の芸術を励み信心を深めることによって、せめてこの隣人への直接の奉仕の懈怠《けたい》をつぐのわしていただきたいと念ずる者である。
[#地から2字上げ](一九二〇・一二・一五 於大森)



底本:「愛と認識との出発」角川文庫
   1950(昭和25)年6月30日初版発行
   1967(昭和42)年9月30日64版発行
   1982(昭和57)年12月20日改版31版発行
※底本は新字に改める編集方針が明記されていますが、「蟲」「獻」など旧字が混在しています。これらは底本のままとしました。
※底本では角川書店編集部が、一校の「校友会雑誌」と校合して括弧付きで復元している部分がありますが、本ファイルではその著作権を考慮して削除しました。
※底本で句点を読点と誤植していると思える箇所がありますが、異本でもばらつきが見られるため底本通りにしました。
入力:藤原隆行
校正:小林繁雄
2002年3月18日公開
2005年12月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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