lから惨めに裏切られたときに、自分はその苦痛のただ中においてまた、自分がそのようにも信頼していた友に対する期待からも同時に裏切られた。そして混乱と、動揺と、悲恨との間につくづくと人間の愛の頼みがたきことを感じた。そのときから自分はミスアンスロフィックな感情と、隠遁の心持ちとを心の底に抱かないではいられなくなりだした。自分があれほどまでに他人の愛を懇願し、そのためには飢えたもののような、もの欲しそうな――それはすでに憐れさもしくははなはだしきは醜さの感じを呈するほどまでに、露骨にかつ哀訴的な態度を取ることさえもあえてし、しかもかくまでしてようやく贏《か》ち得たる愛を一年も経ぬ間に世にも惨めに失い、加うるにそのために一生の運命に決定的契機を与えるほどの大きな犠牲を払ったことを思えば思うほど、自分の運命がいたましく、自分の無知が悔いられ、いまいましく、腹立たしくならないではいられない。他人に対するある反感と、人生に対する一種の厭忌の情を抱かないではいられない。そしてその深い深い傷と悲しみとを他人に訴える気がしないだけに、独り暗い部屋の隅に隠れ、あるいは淋しき野を歩いて、考えながら泣きたい心地がする。孤独というもののなかにある深い深い味わいと、淋しき心にのみ受けられる自然のいたわるような慰めとが何よりも懐かしい心地がする。自分が人間の愛を求めていたときにはあれほどまでに冷淡に見えた自然が、自分が人間の愛を断念してからはどうしてこれほどまでに親しい、甘いものとなったのか不思議な心地がする。自分は誰にも愛を求めず、自分自身のなかに閉じ籠《こも》るときに最も安らかな心地がする。何者からも侵されない平和と、何者にも負わない自由とを尊ばずにはいられない。そこには自分自身の天地、世界がある。その世界においては自分が主であり、王である。また庵主であり、燈台守である。自分は他人にデペンドする生活の不安と、脆《もろ》さとを痛感した。これからは自分自身の上に生活を築かなければならない。他の何者かに依属して初めて充足する生活であるならば、絶えず他の者の向背によって動揺しなければならない。他の者の意嚮《いこう》を顧眄《こべん》しなければならない。それは今の自分のもはや堪え得るところではない。自分は自分のみに完成し、飽和する生活を建てたい。それこそ真に確実にして、安定せる生活である。自分は故郷のある淋しい森のなかの小さな沼のほとりの一軒家に一人の家僕の少年と二人で住んでいる。自分は自分の心の内の生活についてはこの少年に何ごとをも語る必要はない。自分自身の用はできるかぎり自分でたすが、自分が身体が弱いためにできないことや炊事や、雑用は少年がしてくれる。少年は嬉々《きき》として無邪気な遊びをしながら自分に仕えてくれる。自分はこの少年が世の中のいわゆる同情ある人のごとくに――それは多くは好奇心を伴い、他人の内面に立ち入ることを好み、かつ傷つける人に真の慰めを送る力を持つことは稀《まれ》なのであるが――自分にいろいろなことを打ち明けさせようとしないことを悦《よろこ》んだ。そしてこの少年に教えられて、初めて沼に釣りを垂れて、浮標《うき》の動くのをじっと眺めていたり、月のある夕方にボートに乗って、少年に漕《こ》がせ、自分が舵《かじ》とって漕ぎ回り小さな魚が銀色に光ってボートのなかに跳《は》ねていくつとはなし入ってくるのを眺めているときはどんなに平和な静かな心だろう。そういう静けさは自分から長い長い間去っていたのだ。自分は自分の書斎にキリストの額を掛け壁に、
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Grant that the Kingdom of entire gratitude may open within me!
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と貼紙をした。そして夜となればランプをともして好んで中世紀の哲学や旧約聖書やアウグスチヌスやトマス・ア・ケンピスなどを読んだ。ことにトマス・ア・ケンピスの淋しきかつ思いきった隠遁的ムードは自分の心に何よりも慰めと励ましであった。自分は『キリストの追随』や『百合の谷』をどんなに悦《よろこ》んで心に適える思いをもって読んだろう。そこには、
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As oft as I have been among men, I returned home less a man than I was before.
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とも書いてあった。自分は書を読み疲れれば、日当たりのよい縁端で日光浴をし、森の中をさまよい、小山の陰に独り祈り、また暑い午後にはただ一人水の中に浸《つ》かって空行く雲を眺め、水草の花を摘み、水の中に透きとおって見える肌のまわりに集まってくる小さな魚の群れの游《およ》ぐのをじっと眺めているときに、しみじみと孤
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