{能的な愛は私の期待したごとくけっして鞏固《きょうこ》ではなかった。女の恋愛には精神生活の根底がなかったために、その崩れ方はじつに脆《もろ》かった。私は一種の錯誤に陥っていた。私の尨大《ぼうだい》なる形而上学的の意識生活を小娘の本能的な愛の上に据えつけた。それが瓦壊の源であった。
 本能的の愛は一時は炭火のごとく灼熱しても愛して倦《う》まぬ持久性がない。覚悟と努力との上に建たざるがゆえに外敵に対する抵抗力が乏しい。敵とは何か、他の本能である。精神生活より発する愛は諸種の本能を一度思考の対象として、それを統一した上に発したる一種の形而上学的努力の感情である。本能的な愛の熱烈は他の本能を一時蔽うている状態である。ゆえに他のこれと駢列《へんれつ》する本能をもってアッタックせらるるとき崩れてしまうのである。私は真の生活が精神生活でなければならないことを痛感する。いやしくも私らが生活につきて意識的になるとき、すなわち真の意味において生活するようになったとき、その生活は理想的要素を含める精神生活(Geistesleben)でなければならない。真の生活は自然主義の生活にあらずして理想的、著しくいわば技巧的、人工的生活である。それが最も個性的特殊性を含める生活である。もとより本能や感覚を材料として取りいれねばならぬ。しかしこれらの材料を排列し、擯斥《ひんせき》し、牽引し、あるいは種々の立場より覗くことを得るだけの精神的努力を含める生活をいうのである。たとえば性欲というような本能は誰でも持ってる共通的なものである。その性欲をいかに取りいれるか、排斥するか、包容するか、というようなところに個性的特質ある生活が見いだされねばならない。かくて自己は広き範囲にわたりて、多くの事実を多くの立場より見得るに至るであろう。生活に摂《と》りいれらるる data は豊富になるであろう。しこうして後これらのものを包摂して、単純化が行なわれたるとき真に確実にして力ある生活が生み出されるのである。人間の生活が熱烈なる光輝を放つときは単純化が行なわれたるときである。しかしながらその単純は複雑と多様とを統一したものであって、内容の貧寒を意味する簡単であってはならない。真の単純化はその内に無数の要素を含める体系的一であって数的一ではない。本能生活の熱烈は後者に属するものであって、その一本調子は単純化ではない。他の要素の見えない盲目的生活である。最も befangen されたる、束縛されたる、隷属の生活である。かかる生活よりは真に堅忍にして持久なる底深き力は出ないであろう。火山の爆発のような一時的な暴力は出るかもしれない。しかしながら高山の山腹を少しずつ見えない速度で、しかし支うべからざる圧力で、収効果的《エフェクチブ》に滑《すべ》り落ちる氷河のような力は生じないであろう。動くものの全体としての静けさの感じられるような力が真に偉大なる力である。私はかかる力に憧《あこが》るる。かかる力は統一されたる要素の豊富なくしては生じない。私らは熱烈とか驀直とかいう文字に欺かれてはならない。貧寒な data で熱烈になるよりは、豊富な data でまとまらずに、淋しく生活をする者が強い人である。真の単純化は至難のことである。さればこそ精神生活の向上と精進とはかぎりなき苦しき努力となるのである。ノラは家出をして自己の道を拓《ひら》こうとした。またある妻は躊躇して家に止まった。それゆえにノラの方が強い女だという人があるならば浅薄である。強いとか弱いとかいうことはしかく外的に決せらるるものではない。家に残った妻はノラよりも、もっと多くのことを考えたかもしれない。夫と自分との関係、子供と自分との関係、その間に見いだされる自己が家出の足を止めたかもしれない。ノラの方が自己に忠実であるとは必ずしもいえない。多くのことを心に収めて考えることのできる人は強いといわねばならぬ。徹底するのは真理がするのである。行為が外的にすばらしい[#「すばらしい」に傍点]のをいうのではない。真理が徹したために、行為が目立たないものに止まることはある。かくて人目に立たず、オブスキュアに、しかも内面の自己の徹底にみずから満足して生きてる人があるならば、私はその人を打ち仰いで尊敬する。筆を持つものは特にここを一考せねばならない。私はみずから気付かずにこの表現の Fallacy に陥っていたように思われる。自己の表現と発情とに覚えず自己を捲き込んでいたような傾きがある。それがために私の思索が混雑し、単純化が精緻を欠き、統一の外に取り残された data があった。たとえば性欲とキリスト教的愛とが混淆《こんこう》し、彼女以外の人に内在する私の自己が取り除かれたりしていた。その部分から私の精神生活は崩れていった。しかし思えばそれはイデア
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