A私と友との間にはどれほど友情の本質に関する寂寞と煩悶とが続いたことだろう。今もなおその踰《こ》えがたき溝渠《こうきょ》を思えば暗然とする。それは「三之助の手紙」のなかに詳しく書いたはずである。あなたのように人と人との接触に関して軽《かろ》い意識でいられればこそあんな楽天的なこともいえるのである。
何よりも校友に向かって感ずる私の第一の遺憾は生活意識の深刻でないことである。うやむやで生きてゆかれる人はしばらく措くにしても、いやしくも文芸家と道徳家とをもってみずから任ずる人に対しては私はいい分がある。文芸家には Morality が欠けている。単なる「歌うたい」や「詩造り」が多い。したがって「気分の芸術」はあっても「存在の芸術」はきわめて乏しい。あるいは遅るるを恐るるがごとくに読書し創作して余念のない人はある。けれども一生懸命生活してる人は乏しい。霊肉の資本《もとで》を払って、多大な犠牲を敢えてして、肉を耗《へ》らし、心を労して生活してる人はない。私は彼らに作品を提供するまえに、ただちに生活を提供せよと要請したい。それを思えば道徳家の実行的精神がどれほど尊いかしれない。けれども悲しいことにはその道徳は常識的、概念的道徳である。生命最奥の動乱より発するものではない。
次にあなたにいいたきことはあなたの生活はまだ素朴的センチメンタリズムの範囲を出ていないことはあるまいか。自然主義を潜らぬ前の感傷主義ではあるまいか。あなたの人生に対する態度はあまりに感激的である。涙が多すぎる。あなたの物を見るに用いる眼鏡は物象をあまりに美しく輝いて見せすぎる。今少し観照的の眼光を深くして外界をあるがままに見る必要はないか。醜きは醜きように、汚れたるは汚れたるように、如実に受け取る必要はないか。たとえば人を尊敬するにしてもあなたは節度を逸して崇拝し随喜しられるようなことはないか。私らから見ればそれほどまでには思われない人を、ほとんど狂熱的に崇拝せられる。人は各々偉いとする点を異にする。またおまえはよくその人物を知らないからだといわれればそれまでであるけれど、私などにはあなたに観照的な態度が欠けてるからだと思われないでもないのである。涙だってセンチメンタリズムの涙は信用できるものではない。私は幾度無知な、偽りな涙をこぼしたことであろう。まことしやかにみずから気づかずに、自分で自分に甘える涙を垂れたことであろう。涙を涸《か》らした、センチメントを抜いたショオの芸術の深刻を、人生の観方《みかた》を私はあなたに薦《すす》めたい。
Y君、私はまことに無遠慮にあなたの生活を批評した。私があなたの生活に対する疑問を誌上で公表したのは、私がヒロイックな精神に動かされたからである。あなたを中心として周囲に漂う気分が、校内に蔓延《まんえん》することを、「真新なる生活」のために憂えたからである。私はいま少し生活に対する批評的精神が校内に起こらねばならぬと思う。ただ私が懼《おそ》れるのは私がはたしてあなたを理解してるかどうかということである。もし私の理解が浅薄であるのならば、私は赤面してあなたに謝する。私はまだ書きたきことの多くを種々の事情で発表することができなかったのである。
あなたは今や美しき告別の辞を残して本校を去られるのである。この後といえどもあなたのいわゆる自信ある生活を続けてゆかれることと思う。私の無遠慮な批評が少しでもあなたに反省を促せば幸いである。私としてはあなたが新渡戸《にとべ》先生の宗教に赴かれないで、ドストエフスキーの宗教に入られることを切望するのである。あなたと肩を並べて卒業すべかりし私は、一年遅れ、また一年遅れることになった。私はまだまだ考えねばならない。あらゆる生物はただ生きてるがゆえに「生」に忠実でなければならない。ともに生きてるがゆえに他人の真摯なる生活の主張に傾聴しなければならない。私はあなたの私に教えられんことを求むるものである。終わりに臨んであなたの生命の真実なる発展をいのる。
[#地から2字上げ](一九一三・六・五)
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付記。自分はこの文章に対してY君から一つの手紙を受け取った。それは本当にキリスト者らしい、謙遜な、少しも反抗的な気分の含まれないかつ美しい知恵に富めるものであった。その手紙はその後の自分に深い、いい影響を及ぼした。自分は数年後広島の病院から君に自分の不遜を謝する手紙を送ったのに対して、君はまたじつに美しい手紙をくださった。そして自分を青年時代の恩人の一人に数えてくださった。自分は君の名誉のためと、君に対する自分の敬意を表するためにこのことを付記することを禁じ得ない。自分が今日キリスト者に対して、あるツァルトな感情を抱いているのは君に負うところが多い。自分はこのことを感謝
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