したよりもなんらよきものをもたらさぬであろうことを知るからである。今日の世に処して、物的欠乏の中に偉大なる精神を保つ覚悟無くしては、精神的仕事にも、社会革命にも従事することはできない。物乏しければこそ物にかかずらうのはつまらない。大燈の「肩あって着ずということなし」といい、耶蘇《ヤソ》の「これらのものは汝に加えられん」という、その覚悟をもって、その青春を天といのち[#「いのち」に傍点]と認識と愛と倫理との、本質的に永遠なる思想、感情に没頭せよ。諸君の将来を偉大ならしむる源泉は依然としてここにあるのである。
 今日世間の塵労の中に大乗の信を得て生き、国民運動の社会的実践に従いつつある私は、それにもかかわらず、諸君の青春に悔いなからしめんためにこのアドヴァイスを呈するものである。
 青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉《おお》いならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
[#地から2字上げ](一九三六・一二・一〇)
[#改ページ]

 序文

 この書に収むるところは自分が今日までに書いた感想および論文のほとんど全部である。この書の出版は自分にとって二つの意味を持っている。一は自分の青春の記念碑としてであり、二は後《おく》れて来たる青春の心たちへの贈り物としてである。自分は今自分の青年期を終わらんとしつつある。しこうして今や青春の「若さ」を葬って、年齢にかかわりなき「永遠の若さ」をもって生きゆかんことを今後の自分の志向となしている。自分は自分の青春と別れを告げんと欲するに臨んで、じつに無量の感慨に浸らずにはいられない。自分は自分の青春に対してかぎりなき愛惜を感じる。そして労《ねぎら》う心地をさえ抑えることができない。自分の青春はじつに真面目《まじめ》で純熱でかつ勇敢であった。そして苦悩と試練とにみちていた。そして自分は顧みてそれらの苦悩と試練との中から正しく生きゆく道を切り開いて、人間の霊魂のまさに赴くべき方向に進みつつあることを感じる。そして自分は自分がその青春の、そのようにも烈しかった動乱の中にあって、自己の影を見失わないで、本道からはずれないでくることができたことを心から何者かの恵みと感じないではいられないのである。自分はいま自分の青春を埋葬して合掌
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