事についている人間なのだから。自分はこのことについて赦しを乞わずにはいられない。自分は自分がすべての私の欲望を放棄して、すべての精力、すべての時間をことごとく隣人との結縁と奉仕とに捧げているとはいえないからである。自分が負うている十字架もけっして軽いとは思わないが、自分にはなお悪き欲望が残っていることを認めずにはいられないからである。自分は自分が拠ってもって人類に間接に一括めに奉仕せんと欲している芸術のために、面会日を定めたり、手紙を怠ったりしなければならないのではあるが、自分の芸術がはたして人類に対するいかほどの寄与になり能うかということ、およびその製作活動が自分のプライベートな幸福でもあることを考えるときには、それを弁解の具にのみ用いることは気がひけるところもある。自分がもしこれ以上人と会い、手紙を書くならばおそらく自分の芸術はほとんどその出産の能率を欠き、自分の寿命は支えることはできないであろう。しかしながら自分にとって芸術は一つの偏執であるのかもしれない(現に私にそういってくれる、私の尊敬している人もあるのである)。自分にとって芸術は、それだけは何もののためにも放すことのできないというような、執心となっているのだから。自分がもしすべてを隣人に捧げ、芸術を断念し、「旦《あした》に道を聞いて夕べに死すとも可なり」というがごとき信念の下に、病気を顧慮することなく他人のためにのみ生きるならば、今日においてもなお面会日を定めず、手紙を怠らぬことはできるのである。あるいは聖人はそうすべきであるかとも思う。しかし今はまだ自分の信心が決定せず、自分の思想が一定せず、芸術を断念することができず、またできるだけ長生きもしたく思っている程度の私の境涯であるためにやむをえないのである。自分はけっしてそれを当然だとは思わず、また満足してもいないのであることと、そのことについて赦しを乞うているものであること、また自分がそれほどにも人と触れ合うことを自分の幸福と思っているものであるということを私の隣人たちに知っていて欲しいのである。自分は自分の尊敬しているある人がなしているように、自分が触れ合った人々――それらのなかには、去る者は日に疎く、今はどこにどうしているか解らなくなっている、けれども自分が忘れることのできない人々、あるいはまた現在住所も解ってはいるけれども、めったに便りを出すこと
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