正しき願いを寸毫も断念することなく、これを成就せんと欲するならば、自分らはこの「限り」を感じないではいられない。自分は人と人との接触の微妙なる味、心と心との結縁の機微を思うときに、自分が病気とはいいながら、面会日を定め、面会時間を限り、またかりそめにも音信を疎略にするがごときことは、みずからに許すことができないのみならず、自分の人生における幸福な、重要なるものを減殺することとして遺憾に堪えない気がする。人間と人間と触れ合うことは無限の味、幸福、涙である。そのとき人は死を肯《うけが》うことさえ辞さないのである。それを思えば自分は一人の人間をも除さず縁を結びたい気がする。人間にはどんな人にでもその特殊な持ち味がある。その味に触れることはこの人生における最も深い、複雑な享楽である。自分は結縁というものの微妙な味を思う。自分がこれまで触れ合ったさまざまな人々を思うときに、何はともあれ、その人々と結縁したことは感謝したい気がする。相手を祝福する動機によって結縁したいわゆる「順縁」の場合のみならず、相手を呪誼《じゅそ》する動機によって結縁した(たとえば相手と口論したることが動機となって結縁したるがごとき)「逆縁」の場合においてもなおその相手と少しも触れ合うことのできなかった「無縁」の場合よりは感謝したい気がする。著しくいわば、一人の女と全然無縁であるよりも、たといその女を辱しめることが動機となったとしてもなおかつ結縁したい気さえすることがある(むろんその反対すなわち一人の小さきものを傷つけるよりは、万人から隠遁したい気もするが)。自分はこういうことを想像することがある。自分が心ひそかに永く逢いたいと思っていた人が遠くの国へ行くということを聞き、もう一生逢えないかもしれないと思って、いろいろ躊躇していたのを思い切って逢いに行く。俥《くるま》で波止場へ馳けつけるとその人はいま出帆したところであった。なぜ今日にかぎって汽車が延着してその人に逢えなかったであろうかと歎き悲しむ。がそれはいつか前の世でその人がふと道連れになったときに、自分に雨に降られて合い傘をしてくれと頼んだときにそれを拒んだためであったというようなことを。こういうことはばかげた考え方とはけっしていえない気がする。現にこの世でもこれに類することはじつに多い。病院の廊下を歩いていてふと懐しい人の表札を見いだしたが、その時た
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