私は初対面のときすぐに恋の話を持ち出すような人からいい印象を受けることはできない。しかもかかる人があまりに多くなった(しかしそうしても嫌な感じの出ない人があれば私はその人を心からほめる)。「その頃私は恋をしていたので」というような、まるで用達をしていたのか、床屋に行っていたのかを語るような恋物語の仕方をする人を私は嫌う。私たちの深い、大切な記憶は心の奥に慎しみ深く守られねばならぬ。深い深い傷や、不幸や、魂の夢や、空想や、願いや、かかる高貴なるものを軽々しく聞こうとする人も、語る人も浅人である。本当につつましい人が門をたたいたとき、あるいは心をこめてかく芸術の内でのみ語らるべきである。
 ああ私はみずから揣《はか》らずして高い高い標準を立てたような気がする。しかし私はけっしていたずらに高い理想を立して非難の口実を探したのではない。私たちはたとい実行できなくても高い高いところに向かって大願を立てたい。そしてその大願の前に自分を鞭打ちたい。私の真意を打ち明けて語れば「どんなことでもするがいい。どんなことでも赦されるのだから、しかしどんなことでも悪いと思われるかぎりは悪いと思って恥じねばならぬ。自分のつくった悪が赦されるために」というにある。文壇には私の非難の全然当たらない人々もあろう。しかし私は信じている。それらの人々は自分で文壇を非難したく思ってるような人々だろう。そして私の言説にあまり気を悪くはしまいと。まだ書き足りないが、後日に譲る。私のこの一文には深い感情と動機がある。これを幼稚だと無下《むげ》に斥くる人は、浅い心の持主である。書き終わって、荒々しい書き方をしたような気がして、何だか心が静かでない。
[#地から2字上げ](一九一八・二・一)
[#改ページ]

 人と人との従属

 現代は、人間が自己の生活に対して、最も意識的になった時代である。人がおのれの幸福についておもんぱかるに熱心なることは今の時代ほど著しいときはあるまい。人はこの地上を楽しく豊かならしめ、おのれの生活を快適ならしむるためには、種々の配慮を惜しまぬように見える。しこうしてその目的は遂げられたであろうか。この世は楽しく住み心地よくなったであろうか。ある者は互いに憎みあっている。ある者は互いに剣を抜いている。ある者は他より奪わんとし、ある者は求むる者にも拒んでいる。ある者は自己を固く塞《とざ》して
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