音をして花に浮き立つ群衆を散らしめよ。人無き後の公園は一種名状すべからざる神秘的寂寥を極むるであろう。清い柔らかな風がいま一度吹き渡る。天はますます青く澄み、緑草は気息を吹き返す。私はこの寂しき公園の青草の上に天を仰いで転《ころ》びたい。そしてあのいい色の青空を視力の続くかぎり視《み》つめたい。その視線が太く短くなってやがてはたと切れたときそれなりに瞑目したらなお嬉しい。
 今年の私のこの心持ちはいっそうにエルヘーヴェンされたのである。私は所詮神秘と崇厳とを愛憬する若者であった。
 私は去年、花やかさにも湿《うるお》いにも乏しきO市の片隅の下宿において、冷たい、暗い、乾ききった空気の中に住むことをいかほど辛く味気なく思ったことであろう。しかし今年の私は君の濃き温かき友情に包まれることができる。H子さんが私を知っての上の熱き真情もある。加うるに真生命に対する努力と希望とがある。O市における燻った生活、淋しき周囲の状態はこれらの前には首を低うして、ひれ伏さねばならぬであろう。僕は君に喜んでもらわなくてはならない。
 それにしても君、今年の春は早《はや》逝《ゆ》かんとするではないか。隣家の黒板塀からのさばり出た桃の枝は敗残の姿痛ましげに、今日も夕闇の空に輪郭をぼかしている。私は行く春の面影を傷手を負うたような心地で、偲《しの》ばぬわけにはゆかぬのである。私は惜しくて惜しくてならない。地だんだ踏んでもいま一度今年の春を呼び返し、君とともに味わったかの清楽と、花やかなしかし見識のある歓楽が味わいたい。しこうして崇高の感に打たれたい。こう思うとき心の扉はぴりぴりと振うではないか。

 この間の長い手紙丁寧に読んだ。じつを言うとあの手紙は私にとってあまり嬉しい感じを与えてくれなかった。苦心して探し回って、ついにどうか、こうか快楽という一事を捕えたまではよかったが、その「快楽」を捕えたときは、君はすくなからず蕭殺《しょうさつ》たる色相とデスペレートな気分とを帯びてるごとく見えたからである。快楽主義は君にとっては今や一つの尊き信念になった。しかし君はあの手紙を書いて以来、柔らかな、優しい、湿《うるお》うた、心地で日を送ってるかい。おそらくは荒《すさ》んだ、すてばちな気持ちであろう。君の結論は私はこう断定した。「人間の本性は快楽を欲求する意志である。ゆえに最もよき生を得んには意志の対象
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