ヲるが、あれで娼婦のような性質が隠れているのだろう。私はおまえさんたちに愛を求めるほど弱くはない」私はこのようなふうに考えた。そして急いで隠れ家に帰った。水辺に蘆《あし》など生えていた。夜となれば燈火をかかげて、トマス・ア・ケンピスや、アウグスチヌスなどを読んだ。Don't trust to man, but believe in God, と聖書には録されてあった。「汝ら心の貞操を保たんとならば人を避けて、静かなる処に隠れよ、けっして出づるなかれ。汝もし外に出で、人と語りて帰るとき、必ず汝らの心荒らされて『汚れ』たるを見いださん」とトマス・ア・ケンピスは教えていた。O, Gott, du liebest ohne Leidenschaft! とアウグスチヌスは祈っていた。ときどき夕ぐれなど人懐しい心に惹かれて街の方に足の向くときには私は自分を叱った。「おまえは何を求めに街に行くのか。人の愛か、女のなさけか? おまえはそれを求めて失敗したばかりなのに」。そして私は心を堅くして refuge に引き返し引き返した。
 けれど、かような生活は、博いまともな道を歩きたいという私の本来の願いと相容れるものではなかった。かような隠遁生活には反抗心のつくる無理がある。公けな心はその無理を発見する。そしてもっと素直な道を求めずにはおかない。私の心の内には素質としての人懐しさがある。その願いは外に出道を求めずにはおかなかった。私は反抗心の和らぐとともに、独りの生活に寂しさを感じだした。私は遠くの友には、かえって前よりしばしば手紙を送った。ことに女の友には、「私はもはや女の愛を求めようとは思いません」と書かねば気が済まなかった。けれどかく書き送る心の底には微妙な訴えのこころが含まれていた。そのときこの人懐しさのほかにもっと強く正面から私の退隠生活を破る原因となったのはドストエフスキーと聖フランシスとであった。ドストエフスキーはシベリアの牢獄で荒々しい、残忍な、しつこい人々の間に交わりつつ、いかにそれを耐え忍んで愛したであろうか。ことに感動すべきは彼らから排斥せられたときに、みずからを高くし、軽蔑の心から孤独を守らずに、心からそれを辛きことに思ったことである。それを辛く思えたのはドストエフスキーの博さと謙《へりくだ》りとである。またフランシスは隠遁して神との交わりにもっぱらになろうとの願
前へ 次へ
全197ページ中138ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング