рヘ私の側に私の魂の愛する力が働きかけうる人を持たないときは不幸を感じます。私は愛したい、そして求むるものには私の持っているよき物を惜しまずに与えようと、常に用意しているのに、誰も一人として、私に求め訴えに来るものがありません。聖書のなかにも「童子|街《まち》に立ちて笛吹けども、人躍らず、悲歌すれども人和せず」と書いてあります。これは私にとってどんなに淋しいことであったでしょう。私は歩けないのですから他の室に友を求めることはできません。
そして十数人もいる若い看護婦たちはなんという冷淡な、proffesional な人々でしょう。私はときどきに泣きたいような気がしました。三度も手術を受けて、そしてまだいつ療《なお》る見込みもつかない。私は怺《こら》えるには怺えます。けれども悲しいのはかなしい。
私はドストエフスキー(私がよく話すあのロシアの小説家)の『死人の家』など読んでは心からこの不幸な人の淋しい孤独な生活に共鳴して、自分も泣いていました。
そのときあなたが天の使のように私のベッドの側に来てくれました。あなたが後でおっしゃったように、私のいうことはあなたに吸い込まれるように、スラスラと理解されるように私にも思われました。私はあなたの魂のなかに善良な高尚な思想に感動することができる知恵と徳の芽を見いだしました。そしてあなたが学問が乏しいために(失礼ですけれど)それはかえって純な、ありのままの、素質的のものとして私には感ぜられました。
そしてあなたは私のひそかに恃《たの》んでいる尊い部分に触れてくれました。私はまことに嬉しゅうございました。そして私のベッドの側にじっと坐《すわ》って注意深い耳を傾けているあなたに私の信ずる最も高き善き思想をできるだけ単純な、清い言葉で話しているときに、私はときとして私を善い人間であるかのように、まれには聖者であるかのように感ずることさえありました。
私はあなたの熱心な祈りをきき、賛美歌を共にうたいました。これまで永い間私はあまり荒々しい人々のなかにのみ棲《す》みすぎたように思っていましたが、あなたと逢《あ》って私は鳩《はと》のような、小鳥のような――それは私の心にながくとざされていたところのやさしい情緒をふるさとのおとずれでも聞くように思い出しました。それほどあなたは純な人でした。ドストエフスキーは、「もしも鳩が私たちの顔をさ
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