メしい森のなかの小さな沼のほとりの一軒家に一人の家僕の少年と二人で住んでいる。自分は自分の心の内の生活についてはこの少年に何ごとをも語る必要はない。自分自身の用はできるかぎり自分でたすが、自分が身体が弱いためにできないことや炊事や、雑用は少年がしてくれる。少年は嬉々《きき》として無邪気な遊びをしながら自分に仕えてくれる。自分はこの少年が世の中のいわゆる同情ある人のごとくに――それは多くは好奇心を伴い、他人の内面に立ち入ることを好み、かつ傷つける人に真の慰めを送る力を持つことは稀《まれ》なのであるが――自分にいろいろなことを打ち明けさせようとしないことを悦《よろこ》んだ。そしてこの少年に教えられて、初めて沼に釣りを垂れて、浮標《うき》の動くのをじっと眺めていたり、月のある夕方にボートに乗って、少年に漕《こ》がせ、自分が舵《かじ》とって漕ぎ回り小さな魚が銀色に光ってボートのなかに跳《は》ねていくつとはなし入ってくるのを眺めているときはどんなに平和な静かな心だろう。そういう静けさは自分から長い長い間去っていたのだ。自分は自分の書斎にキリストの額を掛け壁に、
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Grant that the Kingdom of entire gratitude may open within me!
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と貼紙をした。そして夜となればランプをともして好んで中世紀の哲学や旧約聖書やアウグスチヌスやトマス・ア・ケンピスなどを読んだ。ことにトマス・ア・ケンピスの淋しきかつ思いきった隠遁的ムードは自分の心に何よりも慰めと励ましであった。自分は『キリストの追随』や『百合の谷』をどんなに悦《よろこ》んで心に適える思いをもって読んだろう。そこには、
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As oft as I have been among men, I returned home less a man than I was before.
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とも書いてあった。自分は書を読み疲れれば、日当たりのよい縁端で日光浴をし、森の中をさまよい、小山の陰に独り祈り、また暑い午後にはただ一人水の中に浸《つ》かって空行く雲を眺め、水草の花を摘み、水の中に透きとおって見える肌のまわりに集まってくる小さな魚の群れの游《およ》ぐのをじっと眺めているときに、しみじみと孤
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