鸚鵡蔵代首伝説
国枝史郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)幾歳《いくつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大|渓谷《たに》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
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仇な女と少年武士
「可愛い坊ちゃんね」
「何を申す無礼な」
「綺麗な前髪ですこと」
「うるさい」
「お幾歳《いくつ》?」
「幾歳でもよい」
「十四、それとも十五かしら」
「うるさいと申すに」
「お寺小姓? それとも歌舞伎の若衆?」
「斬るぞ!」
「ホ、ホ、ホ、斬るぞ、うるさい、無礼、なんて、大変威張るのね、いっそ可愛いいわ。……そうねえ、そんなように厳めしい言葉づかいするところをみると、やっぱりお武士《さむらい》さんには相違ないわね」
女は、二十五六でもあろうか、妖艶であった。水色の半襟の上に浮いている頤など、あの「肉豊《ししむらゆたか》」という二重頤で、粘っこいような色気を持っていた。それが石に腰かけ、膝の上で銀張りの煙管を玩具にしながら、時々それを喫《す》い、昼の月が、薄白く浮かんでいる初夏の空へ、紫陽花《あじさい》色の煙を吐き吐き、少年武士をからかっているのであった。
少年武士は、年増女にからかわれても、仕方ないような、少し柔弱な美貌の持主で、ほんとうに、お寺小姓ではないかと思われるような、そんなところを持っていた。口がわけても愛くるしく、少し膨れぼったい唇の左右が締まっていて、両頬に靨が出来ていた。それで、いくら、無礼だの、斬るぞだのと叱咤したところで、靨が深くなるばかりで、少しも恐くないのであった。玩具のような可愛らしい両刀を帯び、柄へ時々手をかけてみせたりするのであるが、やはり恐くないのであった。旅をして来たのであろう、脚絆や袴の裾に、埃《ほこり》だの草の葉だのが着いていた。
「坊ちゃん」と女は云った。
「あそこに見えるお蔵、何だか知っていて?」
眼の下の谷に部落があり、三四十軒の家が立っていた。農業と伐材《きこり》とを稼業《なりわい》としているらしい、その部落のそれらの家々は、小さくもあれば低くもありして、貧弱《みすぼら》しかった。
上から見下ろすからでもあろうが、どの家もみんな、地平《じべた》に食い付いているように見えた。信州伊那の郡《こおり》[#ルビの「こおり」は底本では「こうり」]川路の郷なのである。西南へ下れば天龍峡となり、東北へ行けば、金森山と卯月山との大|渓谷《たに》へ出るという郷で、その二つの山の間から流れ出て、天龍川へ注ぐ法全寺川が、郷の南を駛《はし》っていた。川とは反対の方角、すなわち卯月山の山脈寄りに、目立って大きな屋敷が立っていた。高く石崖《いしがき》を積み重ねた上に、宏大な地域を占め、幾棟かの建物が立ってい、生垣や植込の緑が、それらの建物を包んでいるのであった。女の云った蔵というのは、それらの建物の中の一つであって、構内の北の外れに、ポツンと寂しそうに立っていた。白壁づくりではあったが、夕陽に照らされて、見る眼に痛いほど、鋭く黄金色に輝いていた。
少年武士は、その蔵へ眼をやったが、
「何だか知っているかとは何じゃ、蔵は蔵じゃ」
「鸚鵡《おうむ》蔵よ」
「鸚鵡蔵? ふうん、鸚鵡蔵とは何じゃ?」
「お蔵の前へ行って、何々さーんと呼ぶんですの。するとお蔵が、何々さーんと答えてくれるでしょうよ」
「蔵が答える?」
「ええ、だから鸚鵡蔵……」
「馬鹿申せ」
「それでもようござんす、馬鹿申せッて、呼ぶんですの。するとお蔵が、馬鹿申せと答えてくれるでしょうよ。……納谷《なや》様の鸚鵡蔵ですものねえ」
「納谷様?」と少年武士は驚いたように、
「では、あれが、納谷殿のお屋敷か?」
「そうよ。でもどうしたのさ、親しそうに納谷殿なんて?」
「拙者、納谷殿屋敷へ参る者じゃ」
「まア、坊ちゃんが。……では、坊ちゃんは?」
「納谷の親戚《みより》の者じゃ」
「まあ」
「身共《みども》の姉上が納谷家に嫁しておるのじゃ」
「まあ、それでは、奥様の弟?」
「うむ」
「お姓名《なまえ》は?」
「筧菊弥《かけいきくや》と申すぞ」
「まあまあ、そうでしたかねえ」と云うと女は立ち上った。
首を洗う姉
それから、草の上へ、さもさも疲労《つかれ》たというように、両脚を投げ出して坐っている、菊弥を見下したが、
「では菊弥様、妾《わたし》もう一度|貴郎《あなた》様にお目にかかることでしょうよ。……そうして一度は、その愛くるしい……」
「斬るぞ!」
キラリと白い光が、新酒のように漲《みなぎ》っている夕陽の中に走った。菊弥が三寸ほど抜いたのである。とたんに、女は走って、二人を蔽うようにして繁っている、背後の樺の林の中へ走り込んだ。でも、そこから振り返ると、
「醒ヶ井《さめがい》のお綱《つな》は、やるといったこときっとやるってこと、菊弥様、覚えておいで」
婢《おんな》に案内され、薄暗い部屋から部屋、廊下から廊下へと、菊弥は歩いて行った。
「このお部屋に奥様はお居ででございます」と云いすてて、婢が立ち去った時、菊弥は、古びた襖の前に立っていた。
菊弥は妙に躊躇されて、早速には襖があけられなかった。姉とはいっても、嬰児《みずこ》の時代に別れて、その後一度も逢ったことのない姉のお篠《しの》であった。
(どんな人だろう?)という懸念が先立って、懐しいという感情は起こらなかった。
(いつ迄立っていても仕方がない)
こう思って菊弥は襖を開けた。
しばらく部屋の中を見廻していた菊弥は、「あッ」と叫ぶとベッタリ襖を背にして坐ってしまった。
この部屋は、宏大な納谷家の主家の、ずっと奥にあり、四方を他の部屋で包まれており、それに襖が閉めきってあるためか、昼だというのに、黄昏《たそがれ》のように暗かった。部屋の中央《まんなか》の辺りに一基の朱塗りの行燈《あんどん》が置いてあって、熟《う》んだ巴旦杏《はたんきょう》のような色をした燈の光が、畳三枚ぐらいの間を照らしていた。
その光の輪の中に、黒漆ぬりの馬盥《ばたらい》が、水を張って据えてあり、その向こう側に、髪を垂髪《おすべらかし》にし、白布で襷をかけた女が坐っていた。そうして脇下まで捲れた袖から、ヌラヌラと白い腕を現わし、馬盥で、生首を洗っていた。生首はそれ一つだけではなく、その女の左右に、十個《とお》ばかりも並んでいた。いずれも男の首で、眼を閉じ、口を結んでいたが、年齢《とし》からいえば、七八十歳のもあれば、二三十歳、四五十歳、十五六歳のもあった。首たちは、燈火《あかり》の輪の中に、一列に、密着して並んでいた。その様子が、まるで、お互い生存《いき》ていた頃のことを、回想し合っているかのようであった。光の当たり加減からであろうが、十七八歳の武士の首は、鼻の脇からかけて口の横まで、濃い陰影《かげ》を、筋のように附けていたので、泣いてでもいるように見えた。
女は、菊弥が入って来て、「あッ」と叫んで、ベッタリ坐っても、しばらくは顔を上げずに、額へパッと髪をかけたまま、馬盥に俯向き、左の手で生首の髻《もとどり》を掴み右の手の鬱金《うこん》の巾《きれ》で、その生首を洗っていた。
菊弥は、全身をワナワナと顫わせ、見まい見まいとしても、生首へ、わけても、女の洗っている生首へ眼を引かれ、物も云えず、坐っていた。
やがて女は顔を上げ、つくづくと菊弥を眺めたが、
「菊弥かえ」と云った。
「は、はい、菊弥でございます。……あ、あなた様は?」
「お前の姉だよ」
「お、お篠お姉様?」
「あい」
「お、お姉様! それは? その首は?」
「代首《かえくび》だよ」
「か、代首? 代首とは?」
「味方の大将が、敵に首を掻かれ、胴ばかりになった時、胴へ首を継いで葬るのが、戦国時代のこの土地の習慣だったそうな。……その首を代首といって、前もってこしらえて置いたものだそうだよ」
「まあ、では、その首は、本当の首ではないのでございますか?」
「本当の首ではないとも。木でこしらえ、胡粉《ごふん》を塗り、墨や紅で描き、生毛を植えて作った首形なのだよ」
「でも、お姉様、どうしてそんな首形が、いくつもいくつも、お家に?」
不幸な良人の話
「納谷家は、遠い昔から、この土地の武将として続いて来た、由緒のある家なのだよ。だから代首がたくさんあるのだよ」
「では、その代首の方々は?」
「ええ、みんな納谷家の武将方だったんだよ。でも、これらの方々は、幸い首も掻かれず、ご病死なされたので、それで代首ばかりが残ったのだよ」
「でも、どうして代首を、お洗いなさるのでございますか?」
「納谷家の行事なのだよ。年に一度、お蔵から、そう、鸚鵡蔵から、代首を取り出して、綺麗に洗ってあげるというのがねえ。……代首にもしろ、首を残しておなくなりになった方々の冥福をお祈りするためでもあり、残されたお首を、粗末に扱わぬためでもあり……」
「でも、どうしてお姉様が?」
「いいえ、これまでは、妾ではなくて、納谷家の当主――妾の良人《おっと》、そうそうお前さんには義兄《にい》さんの、雄之進様がお洗いになったのだよ」
「おお、そのお義兄《あにい》様は、お健康《たっしゃ》で?」
「いいえ、それがねえ」とお篠は顔を伏せた。
「遠い旅へお出かけなされたのだよ」
「旅へ? まあ、お義兄様が?」
「あい、何時《いつ》お帰りになるかわからない旅へ!」
またお篠は顔を伏せた。話し話し代首を洗っていた手も止まった。肩にかかっていた垂髪が顫えている。泣いているのではあるまいか。
「お姉様、お姉様」と菊弥もにわかに悲しくなり、
「どうして旅へなど、お義兄様が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「恐ろしいご病気におかかりなされたからだよ」
「恐ろしいご病気に?」
「あい、血のために」
「血のために? 血のためとは?」
「濁った血のためにねえ」
「…………」
「納谷家は、いまも云ったように、古い古い名家なのだよ。それで代々、親戚《みより》の者とばかり、婿取り嫁取りをしていたのだそうな。身分や財産《しんしょう》が釣り合うように、親戚をたくさん増やさないようにとねえ。……そのあげくが血を濃くし、濁らせて、とうとう雄之進様に恐ろしい病気を。……それでご養生に、つい最近、遠い旅へねえ。……お優しかった雄之進様! どんなに妾を可愛がって下されたことか! お前さんは知らないでしょうが、お前さんがまだ誕生にもならない頃、でも妾が十七の時、雄之進様には江戸へおいでになられ、浅草寺へ参詣に行った妾を見染められ……笑っておくれでない、本当のことなのだからねえ。……財産も身分も違う、浪人者の娘の妾を、是非に嫁にと懇望され、それで妾は嫁入って来たのだよ。その妾を雄之進様には、どんなに可愛がって下されたことか! 恐ろしいご病気になられてからも、どんなに妾を可愛がって下されたことか! でもご病気になられてからの可愛がり方は、手荒くおなりなさいましたけれど。……そう、こう髪を銜《くわ》えてお振りなどしてねえ」
云い云いお篠は、代首の髻《もとどり》を口に銜え、左右へ揺すった。鉄漿《かね》をつけた歯に代首を銜えたお篠の顔は、――髪の加減で額は三角形に見え、削けた頬は溝を作り、見開らかれた両眼は炭のように黒く、眉蓬々として鼻尖り、妖怪《もののけ》のようでもあれば狂女のようでもあり、その顔の下に垂れている男の首は、代首《かえくび》などとは思われず、妖怪によって食い千切られた、本当の男の生首のようであった。
「お姉様! 恐うございます恐うございます!」
「いいえ」と云った時には、もう首は盥《たらい》の中に置かれ、お篠は俯向いて、鬱金の巾を使っていた。
襖の間に立った男
「菊弥や」とやがてお篠は云った。
「とうとうお母様もお逝去《なくな》りなされたってねえ」
「はい」と菊弥は眼をしばたたいた。
「先々月おなくなりなさいましてございます」
「妾はお葬式《と
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