》を持った獅子顔を正面に向け、階段を下り切ったのは、それから間もなくのことであった。髪を銜えられて、男の胸の辺りに揺れているお篠の首は、手燭の光を受けて、閉じた両眼の縁が、涙で潤っているように光っていた。その顔の左右へは、男の、髻の解けた長髪が振りかかり、女の首を抱いているように見えた。
「わッ」という怯えた声が響いた時には、綱五郎は躍り上っていた。刹那、匕首《どす》が閃めいた。綱五郎が抜刀《ぬい》て飛びかかったのである。再度悲鳴が聞こえた時には、生首を銜えた男の手に、血まみれの匕首が持たれ、その足許に綱五郎が斃れていた。その咽喉から迸《ほとばし》っている血に浸り、床の上に散乱しているのは、昨日、お篠が主屋の奥座敷で洗っていた、十個の代首《かえくび》と、その首の切口の蓋が外れ、そこから流れ出たらしい無数の甲州大判であった。
 恐怖から恐怖! ……賊に襲われる恐怖からは危うく助けられたが、殺人《ひとごろし》の悪鬼の出現に、戦慄のどん底へ落とされた菊弥は、床の上へ坐ったまま、悪鬼の姿を、両手を合わせてただ拝んだ。そういう菊弥を認めたのか認めないのか、仮面《めん》のような獅子顔を持った男は、胸の上の女の生首を揺りながら、よろめきよろめき、切り抜かれた壁の方へ歩いて行った。そうして、その男が落とし、落ちた床の上で、なお燃えている手燭の燈に、ぼんのくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]を照らし、壁の穴から出て行った。
 手燭はまだ燃えていた。代首を利用し、その中へ、先祖より伝わる、幾万両とも知れない大判を隠し入れ、首を洗うに藉口《かこつけ》て、毎年一度ずつ大判を洗い、錆を落とすところから、鋳立《ふきた》てのように新しい甲州大判! それが、手燭の光に燦然と輝いていた。

答えない鸚鵡蔵
 悲劇は、蔵の中ばかりにあるのではなかった。大竹藪の中、飯食い地蔵の祠の前にもあった。
 いわば後家のようになったお篠を手に入れ、二つには納谷家の大|財産《しんしょう》を自分のものにしようと、以前から機会を窺っていた番頭の嘉十郎が、お篠をここへおびき出し――先刻菊弥が蔵の裏手で耳にした足音は、その二人の足音なのであったが、今、くどいていた。
「かりにも主人の妾へ、理不尽な! 無礼な! ……汝《おのれ》が汝が!」
 大竹藪は、この不都合な光景を他人に見せまいとするかのように、葉を茂らせ、幹を寄り合わせ、厚
前へ 次へ
全15ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング