を朦朧と照している。
人々は甲冑を鎧っている。手に手に討物を持っている。槍、薙刀、楯、弓矢。……
おお然うして夫れ等の人は、鵞湖仙人の屋敷の方へ、挙って指を指している。何やら罵っているらしい。しかし話声は聞えない。
彼等はみんな[#「みんな」に傍点]痩せていた。
と、続々甲板から、水の中に飛び込んだ。十人、二十人、三十人。……しかも彼等は溺れなかった。彼等は水の上に立っていた。
飛ぶように水面を走り乍ら、続々と岸へ上って来た。彼等は岸へ勢揃いした。それから颯っと走り出した。
鵞湖仙人の屋敷の方へ!
近寄るままによく[#「よく」に傍点]見れば、彼等はいずれも骸骨であった。眼のある辺には穴があり、鼻のある辺には穴があり、口のある辺には歯ばかりが、数十本ズラリと並んでいた。
甲冑がサクサク触れ合った。骨と骨とがキチキチと鳴った。
竹藪の方へ走って来る。
流石の正雪もウーンと唸った。すっかり度胆を抜かれたのである。
彼は地面へ腹這いになった。
サーッと彼等は走って来た。彼等の或者は正雪の背中を、土足のままで踏んで通った。しかし少しの重量も無い。彼等には重量が無いらしい。大勢通るにもかかわらず、竹藪はそよ[#「そよ」に傍点]との音も立て無い。一片の葉さえ戦《そよ》がない。彼等には形さえ無いと見える。
いやいや併しハッキリと、恐ろしい形が見えるでは無いか! 甲冑をよそった骸骨の形が! そうだ、それは確かに見える! だが夫れは見えるばかりだ。物質としての容積を、只彼等は持っていないのだ!
即ち彼等は幽霊なのだ!
幽霊船の幽霊武者! そいつが仙人の屋敷を目掛け、まっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]に走って行くのである。
物凄い光景と云わざるを得ない。
幽霊武者は一団となり、土塀の裾へ集まった。
と、彼等は土塀をくぐり、サッと屋敷内へ乱入した。勿論土塀には穴が無い。それにもかかわらず潜ったのだ。
湧き起ったのは女の悲鳴!
「ヒーッ」という魂消える声! つづいて老人の呶鳴り声! 鵞湖仙人の声らしい。討物の音、倒れる音、ワーッという閧声! ガラガラと物の崩れる音。
「お爺様! お爺様! お爺様!」
「おお娘、しっかりしろ!」
ドッと笑う大勢の声。
「ヒーッ」と復も女の悲鳴。
意外! 歌声が湧き起った。
[#ここから2字下げ]
武士のあわれなる
あわれなる武士の将
霊こそは悲しけれ
うずもれしその柩
在りし頃たたかいぬ
いまは無し古骨の地
下ざまの愚なる
つつしめよ。おお必ず
不二の山しらたえや
きよらとも、あわれ浄《きよ》し
不二の山しらたえや
しらたえや、むべも可
建てしいさおし。
[#ここで字下げ終わり]
訳のわからない歌であった。しかし其節は悲し気であった。くり返しくり返し歌う声がした。そうして歌い振りに抑揚があった。或所は力を入れ或所は力を抜いた。
由井正雪は腹這ったまま、じっと歌声に耳を澄ました。
くり返しくり返し聞える歌!
深夜である。
山中である。
その歌声の物凄さ!
六
復も土塀から甲冑武者が、恰も大水が溢れるように、ムクムクムクムクと現れ出た。
彼等は何物かを担いでいた。
数人が頭上に担いでいた。女である! 女の死骸だ! 窓から顔を差し出して「幽霊船!」と叫んだ女だ! その死骸を担いでいる。
走る走る甲冑武者が走る。
竹藪を通って天竜の方へ!
或者は正雪の頭を踏んだ。或者は彼の足を踏んだ。そうして或者は手を踏んだ。矢張り重量は感じない。
彼等は川の方へ走って行った。そうして水面を辷るように歩き、船の上へよじ[#「よじ」に傍点]上った。
と、船が動き出した。天竜川を上るのである。人魂のような光物が、ユラユラと宙でゆらめい[#「ゆらめい」に傍点]た。上流へ上流へと上って行く。
立ち上った正雪は腕を組んだ。
「深い意味があるに相違無い。彼奴等の歌ったあの歌にはな。……今夜の忍び込みはもう[#「もう」に傍点]止めだ。……ひとつ手段を変えることにしよう」
彼は竹藪からするすると出た。そうして何処ともなく立ち去った。
その翌朝のことである。
鵞湖仙人の屋敷を目掛け、一人の武士が歩いて来た。
余人ならぬ由井正雪。
玄関へ立つと案内を乞うた。
「頼もう」と武張った声である。
と、しとや[#「しとや」に傍点]かな畳障り、玄関の障子がスィーと開いた。婦人がつつましく[#「つつましく」に傍点]坐っている。
それを見た正雪は「あっ」と云った。
これは驚くのが、尤である。幽霊武者に担がれて行った、昨夜の娘が坐っているのだ。
「どちらからお越しでございます?」
その婦人は朗かに云った。幽霊では無い、死骸では無い。将しく息のある人間だ。妙齢十八、九の美女で
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