い!」
はたしてパッと水煙が上った。同時に湖上の老人の姿が、煙のように消えて了った。
見抜いた武士も只者では無い。
むべなる哉この侍は、由井民部介橘正雪。
南宗流乾術第一巻九重天の左行篇に就いて、説明の筆を揮うことにする。
これは妖術の流儀なのである。
日本の古代の文明が、大方支那から来たように、この妖術も支那が本家だ。南宗画は本来禅から出たもので、形式よりも精神を主とし、慧能流派の称である。ところが妖術の南宗派は、禅から出ずに道教から出た。即ち老子が祖師なのである。道教の根本の目的といえば、長寿と幸福の二つである。この二つを得るためには、代々の道教家が苦心したものだ。或者は神丹を製造して、それを飲んで長命せんとし、或者は陰陽の調和を計り、矢張り寿命を延ばそうとした。幸福を得るには黄金が必要だ。それで或者は練金術[#「練金術」はママ]をやって、うんと黄金を儲けようとした。
神仙説を産んだのも、矢張り長寿と幸福との為めだ。
だが、併し、妖術の元は、幸福を得るというよりも、長寿を得ると云う方に、重きを置いていたらしい。ところで妖術の著書はと云えば、枹木子を以て根元とする。そこで筆は必然的に、枹木子に就いて揮わなければならない。
ところが洵に残念なことには、枹木子の著者は不明なのである。これほど素晴らしい本の著者が、不明というのは不思議であるが、しかし一方から見る時は、不明の方が本当かもしれない。屹度神仙が作ったんだろう、と云ってた方が勿体が付いて、却って有難くもなるのだから、尤も一説による時は、葛洪《かっこう》という人の著書だそうだ。
ところで枹木子は内篇二十篇外篇五十二篇という大部の本だ。詳しい紹介は他日を待ってすることにしよう。
枹木子は妖術の根本書で、非常に非常に可い本である! ただ是だけでいいでは無いか。
だが、本当を云う時は、この枹木子は妖術書では無くて、仙術の本という可きである。
で、真実の妖術書といえば、その枹木子の精粋を取り、更に他方面の説術を加味した「南宗派乾流」という本なのである。
三
その有名な妖術書の「南宗派乾流」は足利時代に、第一巻九重天だけ、日本へ渡って来たのである。第一巻九重篇だけでも、どうしてどうして素晴らしいもので、それを体得しさえしたら、どんな事でも出来るのだそうだ。
それを何うして手に入
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