「どうして活きて戻られたな?」
「いや夫れは毎晩でござる。毎晩彼奴等が征めて来ては、あの娘を死骸とし、船へ運んで虐んだ後、活かして返してよこすのでござる。……可哀そうなのは孫娘でござる。だんだん衰弱いたしてな、……つまりわし[#「わし」に傍点]には祟れぬので、そこで弱い娘に祟り、わし[#「わし」に傍点]を間接に苦しめるのでござるよ」
「老人、何か過去に於いて殺生なことはなされぬかな?」
「いいや、断じて」と老人は云った。「わしはこれでも方術家、一切罪悪は犯していませぬ」
「今後はなんとなされますな?」
「手が出ませぬ。捨てて置きます」
「お娘御のお命は?」
「可哀そうに、死にましょう」
「拙者、退治て進ぜよう」正雪は復も膝を進めた。
「いかがでござろう、褒美として、秘巻はお譲り下さるまいか」
老人はじっと考え込んだ。それから徐ろに口をひらいた。
「最早秘巻此わし[#「わし」に傍点]には、殆ど必要が無いのでござる。何故と云うに既にわし[#「わし」に傍点]は、秘巻の意味を知り尽したからで、そこで他人に譲りたく、人材を求めたのでござる。その結果四人を目付けました。第一が他ならぬご貴殿でござる。第二が山鹿素行殿、第三が熊沢蕃山殿、第四が保科正之侯。……で、湖畔で貴殿に会いその人物を験めそうものと、例の立泳ぎお目にかけました。が、貴殿には残念にも、心に不軌を蔵して居られる。天下を乱すに相違無い。然るに南宗派乾流は、そういう人物には有害なのでござる。で、貴殿には譲りたくござらぬ。とは云え悪霊を退治して、娘をお助け下さるとあっては、矢張り譲らねばなりますまい。よろしうござる、お譲りしましょう」
つと老人は立ち上り、隣の部屋へ這入って行った。持って来たのは一巻の巻物、恭しく額に押しあてたがやがて正雪の前へ置いた。
「術譲り! 襟を正されい」
正雪はピタリと襟を正した。
「さて、秘巻はお譲り致した。……悪霊退散の方法はな?」
八
「不浄場をお取り壊しなさるよう」
これが正雪の言葉であった。既に秘巻を譲られたからは、老人は彼に執り師匠であった。そこで言葉を慇懃にした。
「先生は博学でございます。それが尠《すくな》くも今度の事件では、失敗の基でございました。何故と申しますに先生には、その博学にとらわれ[#「とらわれ」に傍点]て、つまらない[#「つまらない」に傍点]彼
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