われなる武士の将
霊こそは悲しけれ
うずもれしその柩
在りし頃たたかいぬ
いまは無し古骨の地
下ざまの愚なる
つつしめよ。おお必ず
不二の山しらたえや
きよらとも、あわれ浄《きよ》し
不二の山しらたえや
しらたえや、むべも可
建てしいさおし。
[#ここで字下げ終わり]
 訳のわからない歌であった。しかし其節は悲し気であった。くり返しくり返し歌う声がした。そうして歌い振りに抑揚があった。或所は力を入れ或所は力を抜いた。
 由井正雪は腹這ったまま、じっと歌声に耳を澄ました。
 くり返しくり返し聞える歌!
 深夜である。
 山中である。
 その歌声の物凄さ!

     六

 復も土塀から甲冑武者が、恰も大水が溢れるように、ムクムクムクムクと現れ出た。
 彼等は何物かを担いでいた。
 数人が頭上に担いでいた。女である! 女の死骸だ! 窓から顔を差し出して「幽霊船!」と叫んだ女だ! その死骸を担いでいる。
 走る走る甲冑武者が走る。
 竹藪を通って天竜の方へ!
 或者は正雪の頭を踏んだ。或者は彼の足を踏んだ。そうして或者は手を踏んだ。矢張り重量は感じない。
 彼等は川の方へ走って行った。そうして水面を辷るように歩き、船の上へよじ[#「よじ」に傍点]上った。
 と、船が動き出した。天竜川を上るのである。人魂のような光物が、ユラユラと宙でゆらめい[#「ゆらめい」に傍点]た。上流へ上流へと上って行く。
 立ち上った正雪は腕を組んだ。
「深い意味があるに相違無い。彼奴等の歌ったあの歌にはな。……今夜の忍び込みはもう[#「もう」に傍点]止めだ。……ひとつ手段を変えることにしよう」
 彼は竹藪からするすると出た。そうして何処ともなく立ち去った。

 その翌朝のことである。
 鵞湖仙人の屋敷を目掛け、一人の武士が歩いて来た。
 余人ならぬ由井正雪。
 玄関へ立つと案内を乞うた。
「頼もう」と武張った声である。
 と、しとや[#「しとや」に傍点]かな畳障り、玄関の障子がスィーと開いた。婦人がつつましく[#「つつましく」に傍点]坐っている。
 それを見た正雪は「あっ」と云った。
 これは驚くのが、尤である。幽霊武者に担がれて行った、昨夜の娘が坐っているのだ。
「どちらからお越しでございます?」
 その婦人は朗かに云った。幽霊では無い、死骸では無い。将しく息のある人間だ。妙齢十八、九の美女で
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