などが、李白に敵うべき道理がなかった。
 ある日美人の溺死人があった。
 で、県令は苦吟した。
「二八誰ガ家ノ女、飄トシテ来リ岸蘆《がんろ》ニ倚ル、鳥ハ眉上《びじょう》ノ翆《すい》ヲ窺ヒ、魚ハ口傍《こうぼう》ノ朱ヲ弄《ろう》ス」
 すると李白が後を継いだ。
「緑髪ハ波ニ隨《したが》ツテ散リ、紅顔ハ浪ヲ逐《お》ツテ無シ、何ニ因《よ》ツテ伍相《ごしょう》ニ逢フ、応《まさ》ニ是|秋胡《しゅうこ》ヲ想フベシ」
 また県令は厭な顔をした。
 で李白は危険を感じ、事を設けて仕《つかえ》を辞した。
 詩的小人というものは、俗物よりも嫉妬深いもので、それが嵩ずると偉いことをする。
 李白の逃げたのは利口であった。
 剣を好み諸侯を干《かん》して奇書を読み賦《ふ》を作る。――十五歳迄の彼の生活は、まずザッとこんなものであった。
 年二十性|※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2−1−59]儻《てきとう》、縦横の術を喜び任侠を事とす。――これがその時代の彼であった。
 財を軽んじ施《し》を重んじ、産業を事とせず豪嘯す。――こんなようにも記されてある。
 ある日喧嘩をして数人を切った。
 土地にいることが出来なかった。
 このころ東巖子《とうがんし》という仙人が、岷山《みんざん》の南に隠棲していた。
 で、李白はそこへ走った。
 聖フランシスは野禽を相手に、説教をしたということであるが、東巖子も小鳥に説教した。彼は道教の道士であった。
 彼が山中を彷徨《さまよ》っていると、数百の小鳥が集まって来た。頭に止まり肩に止まり、手に止まり指先へ止まった。そうして盛んに啼き立てた。
 それへ説教するのであった。
 李白はそこへかくまわれる[#「かくまわれる」に傍点]ことになった。
 ある日李白が不思議そうに訊いた。
「小鳥に説教が解《わか》りましょうか?」
「馬鹿なことを云うな、解るものか。あんなに無暗《むやみ》と啼き立てられては、第一声が通りゃアしない」
「何故集まって来るのでしょうか?」
「俺が毎日餌をやるからさ。小鳥にもてる[#「もてる」に傍点]のもいいけれど、糞を掛けられるのは閉口だ」
 一度彼が外出すると、彼の道服は鳥の糞で、穢ならしい飛白《かすり》を織るのであった。
「一体道教の目的は、どこにあるのでございましょう?」
 ある時李白がこう訊いた。
「つまりなんだ、幸福さ」
「幸福を
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