俺は長安の酒にも飽きた」
で、李白は暇《いとま》を乞うた。
皇帝は金を李白に賜った。
李白の放浪は始まった。北は趙《ちょう》魏《ぎ》燕《えん》晋《しん》[#ルビの「しん」は底本では「し」]から、西は※[#「分+おおざと」、664−上−20]岐《ぶんき》まで足を延ばした。商於《しょうお》を歴《へ》て洛陽に至った。南は淮泗《わいし》から会稽《かいけい》に入り、時に魯中《ろちゅう》に家を持ったりした。斉や魯の間を往来した。梁宋には永く滞在した。
天宝《てんほう》十三年広陵に遊び、王屋山人|魏万《ぎまん》と遇い、舟を浮かべて秦淮《しんわい》へ入ったり、金陵の方へ行ったりした。
魏万と別れて宣城《せんじょう》へも行った。
こうして天宝十四年になった。
ひっくり返るような事件が起こった。
安祿山が叛したのであった。
十二月洛陽を陥いれた。
天宝十五年玄宗皇帝は、長安を豪塵して蜀に入った。
李白の身辺も危険であった。宣城から漂陽にゆき、更に※[#「炎+りっとう」、第3水準1−14−64]中《えんちゅう》に行き廬山に入った。
玄宋皇帝の十六番目の子、永王というのは野心家であったが、李白の才を非常に愛し、進めて自分の幕僚にした。
安祿山と呼応して、永王は叛旗を飜えした。弟の襄成王《じょうせいおう》と舟師《しゅうし》を率い、江淮《こうわい》[#ルビの「こうわい」は底本では「こうれい」]に向かって東下した。
李白は素敵に愉快だった。
「うん、天下は廻り持ちだ。天子になれないものでもない」
こんな事を考えた。
詩人特有の白昼夢とも云えれば、※[#「にんべん+蜩のつくり」、第4水準2−1−59]儻不羈《てきとうふき》の本性が、仙骨を破って迸しったとも云えた。
意気|頗《すこぶ》る軒昂であった。自分を安石《あんせき》に譬えたりした。二十歳代に人を斬った、その李白の真骨頭[#「真骨頭」はママ]が、この時躍如としておどり出たのであった。
「三川北虜乱レテ麻ノ如シ、四海|南奔《なんぽん》[#ルビの「なんぽん」は底本では「なんぱん」]シテ永嘉ニ似タリ、但東山ノ謝安石《しゃあんせき》ヲ用ヒヨ、君ガ為メ談笑シテ胡沙《こさ》ヲ静メン」
などとウンと威張ったりした。
「試ミニ君王ノ玉馬鞭《ぎょくばべん》ヲ借リ、戎虜《じゅうりょ》ヲ指揮シテ瓊筵《けいえん》ニ坐ス、南風一掃|胡
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