酷《ひど》く宿の人達を、失望落胆させたものであった。さて、ところで、紛失《なくな》ったといえば、もう一つ紛失《なくな》った物があった。他ならぬ銀之丞の鼓であった。それと知ると平手造酒は、躍り上がって口惜《くや》しがり、
「千三屋が怪しい千三屋が怪しい!」と、隣室の呉服商を罵ったが、なるほどこれはいかにも怪しく、同じその夜にその千三屋も、どこへ行ったものか行方が知れなかった。
「おい観世、計られたな」
「いいではないか。うっちゃって置けよ」
「あれは名器だ。何がいい!」
「ナーニこれも一つの解脱《げだつ》だ」銀之丞はのんきであった。
「何が解脱だ。惜しいことをした」「捨身成仏《しゃしんじょうぶつ》ということがある。大事な物を捨てた時、そこへ解脱がやって来る」「また談義か、糞《くそ》でも食らえ」「アッハハハ、面白いなあ」「何が面白い、生臭坊主め!」
 造酒は目茶苦茶に昂奮したが、「ああそれにしても一晩の中に、これだけの事件が起ころうとは、何んという不思議なことだろう」
「おい平手、詰まらないことをいうな」銀之丞はニヤリとし、「不思議も何もありゃしないよ。この人の世には不思議はない。あるものは事実ばかりだ」「事実ばかりだ! ばかをいうな! これだけの事件の重畳《じゅうじょう》を、ただの偶然だと見るような奴には、運命も神秘も感ぜられまい」「運命だって? 神秘だって? 馬鹿な、そんなものがあるものか。それは低能児のお題目だ。無知なるがゆえに判《わか》らない。その無知を恥ずかしいとも思わず、判らないところのその物を差して、不思議だ神秘だ宿命だという。馬鹿馬鹿しくて話にもならぬ。……それはそうと実のところ、おれは少々失望したよ」「それ見るがいい、本音を吐いたな」「これだけの事件の衝突《ぶつか》り合いだ。もう少しこのおれを刺戟して、創造的境地へ引き上げてくれても、よかりそうなものだと思うのだがな」「ふん、何んだ、そんなことか。刺戟、昂奮、創造的境地! 何んのことだか解りゃしない」
「おれは駄目だ!」と観世銀之丞は、悄気《しょげ》たみじめな表情をした。「おれの所へ来るとあらゆる物が退屈そのものに化してしまう」「我《わ》がままだからよ。貴公は我がままだ」「おれの心は誰にもわからない。おれは気の毒な人間だ」「そうだとも気の毒な人間だとも」「この地にもあきた。江戸へ行きたい」「おれもあきた。江戸へ帰ろう」
 翌日二人は追分を立ち、中仙道を江戸へ下った。

 この頃不思議な盗賊が、江戸市中を横行した。鼓を利用する賊であった。微妙きわまる鼓の音が、ポン、ポン、ポンと鳴り渡ると、それを耳にした屋敷では、必ず賊に襲われた。どんなに奥深く隠して置いても、きっと財宝を掠められた。大名屋敷、旗本屋敷、そうでなければ大富豪、主として賊はこういう所を襲った。不思議といえば不思議であった。屋敷を廻って鼓が鳴る。それ賊だと警戒する。無数の人が宿直《とのい》をする。しかしやっぱり盗まれてしまう。鼓賊《こぞく》、鼓賊とこう呼んで、江戸の人達は怖《お》じ恐れた。「何のために鼓を鳴らすのだろう? どういう必要があるのだろう?」こう人々は噂し合ったが、真相を知ることは出来なかった。南町奉行|筒井和泉守《つついいずみのかみ》、北町奉行|榊原主計守《さかきばらかずえのかみ》、二人ながら立派な名奉行であったが、鼓賊にだけは手が出せなかった。跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》に委《まか》すばかりであった。
 この評判を耳にして一人|雀躍《こおどり》して喜んだのは、「玻璃窓《はりまど》」の郡上《ぐじょう》平八であった。今年の春の大雪の夜、隅田堤で鼓の音を初めて彼が耳にして以来、実に文字通り寝食を忘れて、その鼓を突き止めようと、追っ駈け廻したものであった。しかるに不幸にも今日まで、行方を知ることが出来なかった。根気のよい彼も最近に至って、多少絶望を感じて来て、手をひこうかとさえ思っていた。その矢先に鼓賊なるものの、輩出したことを聞いたのであった。

    二人の虚無僧《こむそう》の物語

 そこは玻璃窓の平八であった。あの時の鼓とこの鼓賊とが、関係あるものと直覚した。「よしよし今度こそはのがさぬぞ」堅く心に誓いながら、鼓賊の詮議に着手したが、いわゆる今日での科学的捜索それを尊ぶ彼であったから、むやみと蠢動《しゅんどう》するのをやめ、理詰めで行こうと決心した。
「賊と鼓? 賊と鼓? この二つの間には、何らか関係がなくてはならない」まずここから初めたものである。で彼は何より先に、鼓に関する古い文献を、多方面に渡って調べたが、鼓と賊との関係について、記録したものは見つからなかった。そこで今度は方面を変え、鼓造り師や囃《はや》し方や、鼓の名人といわれている、色々の人を訪問し、この問題について尋ねたが、やはり少しも得るところがなかった。
「昔の有名な大盗で鼓を利用したというようなものは、どうも一向聞きませんな」誰の答えもこうであった。
「一人ぐらいはございましょう!」平八が押してたずねても、知らないものは知らないのであった。
「残念ながらこれは駄目だ」平八老人は失望したものの、
「小梅で聞いた鼓の音、何んともいえず美音であったが、いずれ名器に相違あるまい。それを鼓賊が持っているとすると、盗んだものに違いない。よしよしこいつから調べてやろう」
 また訪問をやり出した。鼓造り師、囃し方、鼓の名人といわれる人、各流能楽の家元《いえもと》から、音楽ずきの物持ち長者、骨董商《こっとうしょう》というような所を、根気よく万遍《まんべん》なく経《へ》めぐって「鼓をご紛失ではござらぬかな?」こういって尋ねたものである。
 しかるに麹町《こうじまち》土手三番町、観世宗家の伯父にあたる、同姓信行の屋敷まで来た時、彼の労は酬いられた。嫡子銀之丞が家に伝わる、少納言の鼓を信州追分で、紛失したというのであった。
「まず有難い」と喜んで、その銀之丞へ面会をもとめ、当時の様子をきこうとした。銀之丞は会いは会ったものの、盗難については冷淡であった。はかばかしく模様も語らなかった。
「これとあなたがご覧になって、怪しく思われた人間が、多少はあったでございましょうな?」
「さよう」といったが銀之丞は、例の物うい表情で、
「一人二人はありましたが、罪の疑わしきは咎めずといいます、お話しすることは出来ませんな」
 こうにべもなくいい切ってしまった。どこに取りつくすべもない。これが役付きの与力なら、押してきくことは出来るのであるが、今は役を退《の》いた平八であった。どうすることも出来なかった。「それにしても変った性質だな」こう思って平八は、つくづく相手の顔を見た。さすがは名門の嫡子である、それに一流の芸術家、銀之丞の姿は高朗として、犯しがたく思われた。
「これで三番手も破れたという訳だ」平八老人は観世家を辞し、本所の自宅へ帰りながら、さびしそうに心でつぶやいた。「さてこれからどうしたものだ。……どうにもこうにも手が出ない。これまで通り江戸市中を、あるき廻るより策はない。いや我ながら智慧のない話さ。むしゃくしゃするなあ、浅草へでも行こう」
 で平八は足を返し、浅草の方へ歩いて行った。
 いつも賑やかな浅草はその日もひどく賑わっていた。奥山を廻って観音堂へ出、階段を上《のぼ》って拝《はい》を済まし、戻ろうとしたその時であった、そこに立っていた虚無僧《こむそう》の話が平八の好奇心を引き付けた。
「小さいご本尊に大きい御堂《みどう》、これには不思議はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういったのは年嵩《としかさ》の方で、どうやら階級も上らしい。「わしは善光寺は不案内だが、そんなに御堂は大きいかな」年下の虚無僧がきき返した。
「観音堂よりはまだ大きい。一|周《まわ》りももっとも大きいかな」「それは随分大きなものだな」「そうだ、あれは一昨年だった、わしは深夜ただ一人で、その善光寺の廻廊に立って、尺八を吹いたことがある。なんともいえずいい気持ちだった。まるで音色《ねいろ》が異《ちが》って聞こえた」「ナニ尺八のねいろが異った? ふうむ、それは何故だろうな?」「善光寺本堂の天井に、金塊が釣るしてあるからだ」「ナニ金塊が釣るしてある?」「さよう金塊が釣るしてある。つまり火災に遭《あ》った時など、改めて建立しなければならない。その時の費用にするために、随分昔から黄金《きん》の延棒《のべぼう》が、天井に大切に釣るしてあるのだ」「これは私《わし》には初耳だ」「ところで楽器というものは、分けても笛と鼓とはだな、黄金《おうごん》の気を感じ易い。名器になれば名器になるほど、黄金の気を強く感じ、必ずねいろが変化する。つまり一層微妙になるのだ。で鉱脈《こうみゃく》を探る時など、よく鉱山《かなやま》の山師などは、笛か鼓を持って行って、それを奏して金の有無《うむ》を、うまく中《あ》てるということだよ」
 黙って聞いていた平八は、思わずこの時膝を打った。「やれ有難い、いい事を聞いた。これで事情が大略《あらかた》解った。ははあなるほどそうであったか。鼓賊と呼ばれるその泥棒が、少納言の鼓を奪い取ったのは、その鼓を奏する事によって、目星をつけた家々の、金の有無《ありなし》を知るためだったのか。盗みも進歩したものだな。……よしよしここまで見当がつけば、後はほんの一息だ。きっと間違いなく捕えて見せる」
 踏む足も軽くいそいそと、本所|業平《なりひら》町一丁目の、自分の家へ帰って行った。

    千葉道場の田舎者

 北辰一刀流の開祖といえば、千葉周作成政であった。生まれは仙台気仙村、父忠左衛門の時代まで、伊達《だて》家に仕えて禄を食《は》んだが、後忠左衛門江戸へ出で、医をもって業とした。しかし本来豪傑で、北辰無双流の、達人であり、本業の傍ら弟子を取り、剣道教授をしたものであった。その子周作の剣技に至っては、遙かに父にも勝るところから、当時将軍お手直し役、浅利又七郎に懇望され、浅利家の養子となったほどであった。後故あって離縁となり、神田お玉ヶ池に道場を開き、一派を創始して北辰一刀流ととなえ、一生の間取り立てた門弟、三千人と註されていた。水戸藩の剣道指南役でもあり、塾弟子常に二百人に余り、男谷下総守《おたにしもうさのかみ》、斎藤弥九郎、桃井《もものい》春蔵、伊庭《いば》軍兵衛と、名声を競ったものであった。
 ある日、千葉家の玄関先へ、一人の田舎者《いなかもの》がやって来た。着ている衣裳は手織木綿《ておりもめん》、きたないよれよれの帯をしめ冷飯草履《ひやめしぞうり》を穿いていた。丈《たけ》は小さく痩せぎすで、顔色あかぐろく日に焼けていた。
「ご免くだせえ。ご免くだせえ」さも不器用に案内を乞うた。「ドーレ」といって出て来たのは小袴を着けた取り次ぎの武士。
「ええどちらから参られたな」
「へえ、甲州から参りました」そのいう事が半間《はんま》であった。
「して何んのご用かな?」「お目にかかりてえんでごぜえますよ」「お目にかかりたい? どなたにだな?」「千葉先生にでごぜえますよ」「お目にかかってなんになさる?」「へえ立ち合って戴きたいんで」
 取り次ぎはプッと吹き出したが、「では試合に参ったのか」「へえさようでごぜえます」「千葉道場と知って来たのか」「へえへえさようでごぜえます」「ふうん、そうか。いい度胸だな」「へえ、よい度胸でごぜえます」田舎者は臆面がない。
 取り次ぎの武士は面白くなったかからかう[#「からかう」に傍点]ようにいい出した。「で、ご貴殿のご流名は?」「流名なんかありましねえ」「流名がない。それはそれは。してご貴殿のご姓名は?」「姓名の儀は千代千兵衛でがす」「アッハハハ、千代千兵衛殿か。いやこれはよいお名前だ」「どうぞ取り次いでおくんなせえ」「悪いことはいわぬ。帰った方がいい」「へえ、なぜでごぜえますな?」「なぜときくのか。ほかでもない、大先生は謹厳のお方、さようなことはなさらないが、若い血気の門弟衆の中には、悪《わる》ふざけをなさるお方
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