つづいて死に、十四になった唖《おし》の妹と、甚内を入れて兄弟三人、仲よく水入らずに暮らして来たのが、その甚内が旅へ出た今は、二人ばかりの暮らしであった。……そのさびしい自分の家へ甚三は馬を曳いて帰って来た。
「おい、お霜《しも》、今帰ったよ」厨《くりや》に向かって声を掛けたが、声が掛かっても唖のことで、お霜が返辞をしようもない。いつもの癖で掛けたまでであった。厨《くりや》の中では先刻から、コトコト水音がしていたが、ひょいと小娘が顔を出した。丸顔の色白で、目鼻立ちもパラリとして、愛くるしいきりょう[#「きりょう」に傍点]であった。赤い襷を綾取って、二の腕の上まで袂をかかげ、その腕を前垂れで拭きながら、甚三を眺めて笑った様子には、片輪者らしいところもなく、野菊のような気品さえあった。
「あッ、あッ、あッ」と千切れるような、唖《おし》特有の叫び声を上げ、指で部屋の方を差したのは、夕飯を食えという意味であろう。
「よしよし飯が出来たそうな、どれご馳走になろうかな」つぶやきながら足を洗い、馬へ秣《まぐさ》を飼ってから、家の中へはいったが、部屋とは名ばかりで板敷きの上に、簀子が一枚敷いてあるばかり
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