緒に立ち上がった。「唄い負かすか負かされるか、かなわぬまでも競って見よう。よし! そうだ!」と厩舎《うまごや》へ走り、グイとませぼう[#「ませぼう」に傍点]をひっ外《ぱず》すと、飼い馬を元気よくひき出した。「さあ確《しっか》り頼むぞよ。パカパカパカと景気よく、ご苦労ながら歩いてくれ。蹄の音に合わせてこそ、追分の値打ちが出るのだからな。乗せるお客も荷もねえが、あると思って歩いてくれ! ハイ、ハイ、ハイ」と声を掛け、自分は手綱を肩に掛け、土間を通って街道へ出た。
 茫々と青い月の光、一路うねうねとかよっているのは、本街道の中仙道で、真《ま》っ直《す》ぐに行けば江戸である。次の宿は沓掛宿で、わずか里程は一里三町、それをたどれば軽井沢、軽井沢まで二里八町、碓井峠の険しい道を、無事に越えれば阪本駅路、五里六町の里程であった。
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西は追分、東は関所
関所越えれば、旅の空
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 咽《むせ》ぶがような歌声が、月の光を水と見て、水の底から哀々と空に向かって澄み通る。甚三の流す追分であった。パカパカパカと蹄の音が街道を東へ通って行った。
「おおまた追分が聞こえる
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