のよし[#「よし」に傍点]悪《あし》はともかくも、産みの苦しみは遁がれましたよ。ああいい気持ちだ。セイセイした」「私《わし》は駄目だ!」と平八は、憂鬱にその声を曇らせたが、「見当もつかぬ。見当もつかぬ。しかしきっと眼付《めつ》けて見せる。耳についている鼓の音! これを手頼《たより》に眼付けて見せる」
 季節はずれの大雪は、藪も畑もまっ白にして、今なおさんさんと降っていた。

    無任所与力と音響学

 季節はずれの大雪で、桜の咲くのはおくれたが、いよいよその花の咲いたときには、例年よりは見事であった。「小うるさい花が咲くとて寝釈迦かな」こういう人間は別として、「今の世や猫も杓子も花見笠」で、江戸の人達はきょうもきのうも、花見花見で日を暮らした。
 一閑斎の小梅の寮へも、毎日来客が絶えなかった。以前《むかし》の彼の身分といえば、微禄のご家人に過ぎなかったが、商才のある質《たち》だったので、ご家人の株を他人に譲り、その金を持って長崎へ行き、蘭人相手の商法をしたのが、素晴らしい幸運の開く基で、二十年後に帰って来た時には、二十万両という大金を、その懐中《ふところ》に持っていた。利巧な彼は江
前へ 次へ
全324ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング