この造酒が打ち込まれたなら、もう外には出る者がない。厭でも周作が出なければならない。
それほどの造酒が定吉の指図《さしず》で、不思議な田舎者と立ち合おうため、己が席から立ったのであった。場内しいんと静まり返り、しわぶき一つする者のないのは、正に当然な事であろう。そのおかし気《げ》な田舎者の態度に、ともすれば笑った門弟達も、今は悉くかたずを呑み、不安の瞳を輝かせていた。
その息苦しい気分の中で、造酒は悠然と道具を着けた。彼の心には今や一つの、成算が湧いていたのであった。「恐ろしいのは一撃だ。そうだはじめの一撃だ。これさえ避ければこっちのものだ」彼は窃《ひそ》かにこう思った。「あせってはいけないあせってはいけない。こっちはあくまで冷静に、水のように澄み返ってやろう。そうして相手をあせらせてやろう。一ときでも二ときでも、ないしは一日でも待ってやろう。つまり二人の根比《こんくら》べだ。根が尽きて気があせり、構えが崩れた一|刹那《せつな》を、一気に勝ちを制してやろう。相手の不思議なあの構えを、突き崩すのが急務である」
やがて道具を着けおわると、別誂えの太く長く、持ち重《おも》りのするしない[#「しない」に傍点]を握り、静かに道場の真ん中へ出た。両膝を曲げ肘を張り、ズイとしない[#「しない」に傍点]を床上へ置いた。それと見ると田舎者も、肘を張り両膝を曲げ、しない[#「しない」に傍点]の先を食っつけたが、「ちょっくらおたずね致しますだ」例のやつをやり出した。「平手様とおっしゃったようだが、そうすると平手造酒様だかね?」
「さよう、拙者は平手造酒だ」
「へえ、さようでごぜえますか。では皆伝でごぜえますな」「さよう、拙者は皆伝だ」「お前様さえ打ち込んだら、こっちのものでごぜえますな。ほかに出る人はねえわけだね。ヤレ有難い、とうとう漕ぎつけた。それじゃおいらも一生懸命、精一杯のところを出しますべえ」
二人はしばらくおしだまった。ややあって同時に立ち上がった。造酒はピタリと中段につけ、しない[#「しない」に傍点]の端から真っ直ぐに、相手の両眼を睨みつけた。例によって田舎者は、二本の足を左右へ踏ん張り、しない[#「しない」に傍点]を上段に振り冠ったが、これまた柄頭《つかがしら》から相手の眼を、凝然《ぎょうぜん》と見詰めたものである。
突き出された一本の鉄扇
木彫りの像
前へ
次へ
全162ページ中47ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング