にその馬子は、それじゃこれからミジメを見るね」「それがそうでないのですよ」「そうでないとはどういうのかえ?」「つまりお北さんはお二人さんを、一しょに可愛がっているのですよ」「へえ、そんな事が出来るものかね」「お北さんには出来ると見えて、甚三さんは捨てられない、富士様とも離れられない、こういっているのでございますよ」「――つまり情夫《いろ》と客色《きゃくいろ》だな」「いいえどっちも本鴨《ほんかも》なので」「ははあ、それじゃお北という女郎は、金箔つきの浮気者だな」「浮気といえば浮気でもあり真実といえば大真実、どっちにしても天井《てんじょう》抜けの、ケタはずれの女でございますよ」「ちょっと面白いきしょう[#「きしょう」に傍点]だな」「面白いどころか三人ながら、大苦しみなのでございますよ」「三人とは誰々だな?」「お北さんと富士様と、甚三さんとでございますよ」「それじゃ何か近いうちに、恐ろしいことが起こって来るぞ」「内所《ないしょ》でもそれを心配して、ご相談中なのでございますよ」

    追分宿の七不思議

「相談とは何を相談かな?」「甚三さんは土地のお方、これはどうも断ることが出来ぬ。金使いも綺麗、人品もよく、惜しいお方ではあるけれど、富士様の方はフリの客、いっそご出立を願おうかってね」「それが一番よさそうだな。そうだ、早くそうした方がいい。しかし素直に行くかしら?」「それはあなた、行きますとも。人柄《ひとがら》のお方でございますもの」「ふうん、あれが人柄かな。人柄のお方に見えるかな。私《わし》には怪しく思われるがな」
 するとお杉はニヤニヤしたが、「その怪しいで思い出した。この追分の七不思議、あなたご存知じゃございませんかね」「ナニ追分の七不思議? いいや一向聞かないね」「それじゃ話してあげましょうか。まず隣室《となり》の観世様」「観世様が何故不思議だ?」「あんまり鼓がお上手ゆえ」「なるほどこれはもっともだ」「それから馬子の甚三さん」「はあて追分がうま過ぎるからか」「それから唖《おし》娘のお霜さん。あんな可愛い様子でいて、物がいえないとは不思議だとね」「うん、そうしてその次は?」「綺麗すぎる富士甚内様」「これは確かに受け取れた」「心の分らないお北さん」「いかにもいかにもこれも不思議だ。さてその次は何者だな?」「このお杉だと申しますことで」「アッハハハハ、これは秀逸《しゅ
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