つづいて死に、十四になった唖《おし》の妹と、甚内を入れて兄弟三人、仲よく水入らずに暮らして来たのが、その甚内が旅へ出た今は、二人ばかりの暮らしであった。……そのさびしい自分の家へ甚三は馬を曳いて帰って来た。
「おい、お霜《しも》、今帰ったよ」厨《くりや》に向かって声を掛けたが、声が掛かっても唖のことで、お霜が返辞をしようもない。いつもの癖で掛けたまでであった。厨《くりや》の中では先刻から、コトコト水音がしていたが、ひょいと小娘が顔を出した。丸顔の色白で、目鼻立ちもパラリとして、愛くるしいきりょう[#「きりょう」に傍点]であった。赤い襷を綾取って、二の腕の上まで袂をかかげ、その腕を前垂れで拭きながら、甚三を眺めて笑った様子には、片輪者らしいところもなく、野菊のような気品さえあった。
「あッ、あッ、あッ」と千切れるような、唖《おし》特有の叫び声を上げ、指で部屋の方を差したのは、夕飯を食えという意味であろう。
「よしよし飯が出来たそうな、どれご馳走になろうかな」つぶやきながら足を洗い、馬へ秣《まぐさ》を飼ってから、家の中へはいったが、部屋とは名ばかりで板敷きの上に、簀子が一枚敷いてあるばかり、煤けて暗い行燈《あんどん》の側に、剥げた箱膳が置いてあった。あぐら[#「あぐら」に傍点]を掻くと箸《はし》を取ったが、給仕をしようと坐っている、妹を見ると寂しく笑い、
「お前もこれからは寂しくなろうよ。兄《あに》やが一人いなくなったからな。それにしても甚内は馬鹿な奴だ。何故海へなぞ行ったのかしら。こんなよい土地を棒に振ってよ。ほんとに馬鹿な野郎じゃねえか。土地が好かない馬子が厭だ、この追分に馬子がなかったら、国主大名も行き立つめえ。馬方商売いい商売、そいつを嫌って行くなんて、ほんとに馬鹿な野郎だなあ。……だがもうそれも今は愚痴だ。望んで海へ行ったからには、立派に出世してもれえてえものだ、なあお霜そうじゃねえか。……おや太鼓の音がするな。四つ竹の音も聞こえて来る。ああ町は賑やかだなあ。あれはどうやら三丁目らしい。さては油屋かな永楽屋かな。いいお客があると見える。油屋とするとお北めも、雑《まじ》っているに相違ねえ」
甚三はじっと考え込んだ。やがてカラリと箸を置くと、フラリと立って土間へ下り、草履《ぞうり》をはくとのめるように、灯の明るい町へ引かれて行った。
お霜は茫然《ぼんやり》坐っ
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