、殺されたに相違ない!」
「いや私《わし》は碁《ご》の事だ」
「ナニ碁?」と、いかにもあきれたように、「人が殺されたのだ! 人が殺されたのだ! 行って見ましょう。さあさあ早く!」
「いや、それなら大丈夫」平八老人は悠々と、「提灯の消えたのは私にも見えた。が、私にはお前様のいう、刃の稲妻は見えなかった」
「フ、フ、フ、フ、実はそのな。……」
「お前様にも見えなかった筈だ」
「さよう、実は、おまけでござるよ」
「芝居気の抜けぬ爺様だ。刃の稲妻の見えるには、いささか距離が遠過ぎる」
「……が、あの悲鳴は? 消えた提灯は?」
「それがさ、変に間延びしている」
「殺人《ひとごろし》ではないのかえ?」
「ナーニ誰も殺されはしない」

    登場人物はまさしく五人

 しかし主人は不安そうに、「確かかな? 大丈夫かな?」
「三十の歳《とし》から五十まで、寛政七年から文政元年まで、ざっと数えて二十年間、私《わし》はこの道では苦労しています」
「が、そのお偉い『玻璃窓』の旦那も、鼠小僧にかかってはね」
「あれは別だ」と厭な顔をして「鼠小僧は私の苦手だ」
 おりから同じ方角から、鼓《つづみ》の音が聞こえて来た。ポンポン、ポンポン、ポンポンと、堤に添って遠隔《とおざか》って行った。
 すいかけた煙管《きせる》を膝へ取り、平八老人は耳を澄ましたが、次第にその顔が顰《ひそ》んで来た。
 梅はおおかた散りつくし、彼岸の入りは三日前、早い桜は咲こうというのに、季節違いの大雪が降り、江戸はもちろん武蔵《むさし》一円、経帷子《きょうかたびら》に包まれたように、真っ白になって眠っていたが、ここ小梅の里の辺《あた》りは、家もまばらに耕地ひらけ、雪景色にはもってこいであった。その地上の雪に響いて、鼓の音は冴え返るのであった。
「よく抜ける鼓だなあ」思わず平八は感嘆したが、「これは容易には忘れられぬわい。ああ本当にいい音《ね》だなあ。……しかし待てよ? あの打ち方は? これは野暮だ! 滅茶苦茶だ! それにも拘らずよい音だなあ」
 ついと平八は立ち上がった。それからのそり[#「のそり」に傍点]と縁へ出た。
「さて、ご老体、出かけましょうかな」
「ナニ出かける? はてどこへ?」一閑斎は怪訝《けげん》そうであった。
「刃の稲妻……」と故意《わざ》と皮肉に、「消えた提灯、女の悲鳴、雪に響き渡る小鼓とあっては、こい
前へ 次へ
全162ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング