な!」「だが鼓はこわれっちゃった」「捕《と》った!」というと平八は、次郎吉の手首をひっ掴んだ。
「見事捕る気か! さあ捕れ捕れ! だが命の恩人だぞ!」
「ううん」というと平八は、とらえた次郎吉の手を放した。
森然《しん》と更けた夜の館、二人は凝然と突っ立っていた。
一方こなた平手造酒は、次郎吉と別れるとその足で、出邸の一つへ走って行った。出邸には全く人気がなく、矢狭間《やざま》造りの窓から覗くと、内部は整然と片付けられていた。で、内へはいってみた。ここへ七人立てこもったなら、五十人ぐらいは防げようもしれぬと、そう思われるほど厳重をきわめた砦《とりで》のような構造であったが、しかしどこにも隠れ戸もなければ、地下へ通う穴もなかった。で、造酒はそこを出て、次の出邸へ行ってみた。そこも全く同じであった。構造は厳重ではあったけれど、人気というものがさらになかった。
お艶と造酒一室に会す
こうして順次四つの出邸を、平手造酒は訪ね廻った。その結果彼の得たところは、疲労とそうして空虚とであった。親友の観世銀之丞については、全く知ることが出来なかった。
「ふうむ、それでは本邸に、観世は隠されているのだな」こう考えると猶予《ゆうよ》ならず、彼は本邸へ走って行った。戸にさわるとすぐに開き、廊下が眼前に展開された。すなわち北側の廊下であった。正面に巨大な石壁があった。それについて西の方へ歩いた。と、廊下がそこで曲がった。西側の廊下が真《ま》っ直《す》ぐに、彼の足もとから延びていた。その廊下の一所に、三人の人影が集まっていた。一人は床の上に仆れているし、二人は向かい合って突っ立っていた。造酒はハッと胸を躍らした。しかしそれよりももう一つのことが、彼の心を引き付けた。それは石壁の一角が、扉のように口をあけ、そこから火光が洩れていることで、どうやら部屋でもあるらしい。
つと造酒は踏み込んでみた。そこははたして部屋であった。かつていつぞや観世銀之丞が、偶然のことから呼び込まれた、赤格子九郎右衛門の部屋であった。しかしその頃とは異《ちが》っていた。金銀財宝珍器異類、夥《おびただ》しかったそれらのものが、今は一つも見られない。ガランとした灰色のだだっぴろい部屋が、味も素《そ》っ気《け》もなく広がっていた。そうして天井から飾り燈火が、明るい光を投げていた。その光に照されて、一人の女
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