たなあ。どれ」というと鼓を取り上げ、一調子ポ――ンと打ち込んだ。やっぱり同じ音色であった。
「こいつあいよいよ間違いはねえ。驚いたなあ」と呟いた時、
「オイ、千三屋!」
 と呼ぶ声がした。
「え!」と驚いた次郎吉が、グルリ背後《うしろ》を振り返って見ると、一人の武士が岩蔭から、じっとこっちを見詰めていた。
「おっ、あなたは平手様!」ギョッとして次郎吉は叫んだものである。

    地下二十尺救助を乞う

「おおやっぱり千三屋か。妙なところで逢ったなあ。これは奇遇だ、いや奇遇だ」こういいながら近寄って来たのは、他ならぬ平手造酒であった。今年の真夏追分宿で、仲よく(?)つきあった頃から見ると、多少やつれてはいたけれど、尚精悍の風貌は、眉宇《びう》のあいだに現われていた。「オイ千三屋」と叱るように、「実に貴様は悪い奴だな。観世の小鼓をなぜ盗んだ」「ああこいつでございますか」次郎吉はテレたように笑ったが、「へい、いかにも追分では、無断拝借をいたしやした。だがその後観世様へ、一旦ご返却いたしましたので」「嘘をいえ、悪い奴だ」造酒は一足詰めよせたが「一旦返した観世の小鼓を、どうしてお前は持っている?」「それには訳がございます」気味が悪いというように、小刻みに後へ退りながら、「実はこうなのでございますよ。一旦お返ししたあとで、是非に頂戴いたしたいと、お願いしたのでございますな。すると観世様はこうおっしゃいました。盗まれてみれば不浄の品、もう家宝にすることはできぬ。往来へ捨てるから拾うがよいと。……で往来へお捨てなされたのを、わっちが急いで拾ったので。嘘も偽《いつわ》りもございません。ほんとうのことでございますよ」次郎吉は額の汗を拭いた。
 造酒は迂散《うさん》だというように、黙って話を聞いていたが、不承不承に頷いた。
「貴様も相当の悪党らしい。問い詰められた苦しまぎれに、ちょっと遁《の》がれをいうような、そんなコソコソでもなさそうだ。それに観世の精神なら、そんな態度にも出るかもしれない。お前のいいぶんを信じることにしよう」「へえ、ありがとう存じます。ヤレヤレこれで寿命が延びた、抜き打ちのただ一刀、いまにバッサリやられるかと、どんなにハラハラしたことか。……それはそうと平手様、どうしてこんな辺鄙《へんぴ》な土地に、おいでなさるのでございますな?」……聞かれて造酒は気まずそうに、寂し
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