剣の神様でございます。先生にじっとつけられました時、これまでかつて感じたことのない、畏敬の心が湧きました。そうして先生のお姿も、また鉄扇もなんにも見えず、ただ先生のお眼ばかりが、二つの鏡を懸けたように、わっちの眼前で皎々《こうこう》と、輝いたものでございます。とたんにわっちの構えが崩れ、あの通りの有様に気絶してしまったのでございます」
忠次ほどの豪傑も、こういってしまうと額の汗を、改めて拭ったものである。
国定忠次の置き土産
上州の侠客国定忠次が、江戸へ姿を現わしたのは、八州の手に追われたからで、上州から信州へ逃げ、その信州の追分で、甚三殺しと関係《かかりあ》い、その後ずっと甲州へ隠れ、さらに急流富士川を下り、東海道へ出現し、江戸は将軍お膝元で、かえって燈台|下《もと》暗しというので、大胆にも忍んで来たのであった。千葉道場へやって来たのも、深い魂胆があったからではなく、自分の我無沙羅《がむしゃら》な「待ったなし流」を、見て貰いたいがためであった。
「千葉道場におりさえしたら、八州といえども手を出すまい。忠次ここで遊んで行け」
千葉周作はこういって勧めた。
「へい、有難う存じます」忠次はひどく喜んで、二十日あまり逗留した。と云っていつまでもおられない、いわゆる忙《せわ》しい体だったので、やがて暇《いとま》を乞うことにした。
「お前達はずんで餞別をやれ」千葉周作がこういったので、門弟達は包み金を出した。それが積もって五十両、それを持って国定忠次は、日光指して旅立って行った。
さて、これまでは無難であったが、これから先が無難でない。ある日造酒が銀之丞へいった。
「観世、お前はどう思うな?」藪から棒の質問であった。
「どう思うとは何を思うのだ?」銀之丞は変な顔をした。
「国定忠次のあの太刀筋、素晴らしいとは思わぬかな」「うむ、随分素晴らしいものだな」「ところであれは習った技ではない」「それは先生もおっしゃった」「人を斬って鍜えた[#「鍜えた」はママ]技だ」「それも先生はおっしゃった筈だ」「ところが我々はただの一度も、人を斬った経験がない」「幸か不幸か一度もないな」「そこで腕前はありながら、忠次風情にしてやられたのだ」「いやはや態《ざま》の悪い話ではあったぞ」「それというのもこのわれわれが、人を斬っていないからだ」「残念ながら御意《ぎょい》の通りだ」「観世
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