だ、早く灯火《あかり》を点《つ》けるがよい」
島太夫は恭《うやうや》しく一揖《いちゆう》したが、そろそろと龕《がん》まで歩いて行き燭台に仄《ほの》かに灯をともした。部屋の中が朦朧《もうろう》と明るんで来る。
宗介は部屋の中を見廻したが、
「……これが昔の俺の城か。あの華美《はなやか》だった部屋だというのか。熊の毛皮を打ち掛けた黒檀《こくたん》の牀几《しょうぎ》はどこへ行った。夜昼絶えず燃えていた銀の香炉もないではないか。……や、ここに十字架《クルス》がある! 誰がここへ置いたのだ? 何んのためにマリヤを飾ったのだ! 俺は昔から天帝《ゼウス》に対して何んの尊敬も払っていなかった。ましてマリヤや基督《キリスト》に対しては頭を下げたことさえない。天帝《ゼウス》の教えを信じたのは俺ではなくて夏彦であった。……島太夫お前は覚えていような。十四年前のある晩に俺と夏彦とは部下を従え三隻の軍船に打ち乗って湖水を分け天竜川を下り一人の女の愛を得ようと阿修羅《あしゅら》のように戦ったことを! ああある時は二つの船は舷《ふなばた》と舷とを触れ合わせて白刃と白刃で切り合った。またある時は二つの船は互いに遠
前へ
次へ
全368ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング