が、次の瞬間には恐ろしい混乱が勃発《ぼっぱつ》した。彼らは口々に叫び出した。

         二一

 ある者はこれを神罰だと云った。
「我らの不忠実を怒らせられ神が奇蹟《ふしぎ》を下されたのだ」
 またある者はこうも叫んだ。「泥棒が盗んだに相違ない。黄金《こがね》で作られた鎧冑《よろいかぶと》には莫大《ばくだい》な値打ちがあるからな。――城下の泥棒が盗んだのだ」
 またある者は次のように云った。
「白法師の所業《しわざ》に相違ない。我々の部落、我々の信仰を日頃から彼奴《きゃつ》は譏《そし》っていた。我々の神聖な神を穢《けが》し、我々の霊場を踏み躙《にじ》った者は彼奴《きゃつ》以外にある筈《はず》がない!」
「そうだそうだ」
 と群集は挙《こぞ》ってこの言葉に雷同した。
「白法師をひっ[#「ひっ」に傍点]とらえろ!」――「草を分けても探し出せ!」――「白法師を狩れ白法師を狩れ!」
 群集は興奮して境内を出た。祭りは一変して白法師狩りとなった。

 この日の真昼頃白法師は大岩の上に坐っていた。白衣、長髪、裸の足――昔に変わらぬ優しい微笑。
 彼の前には岩太郎がいた。彼は仲間の隙を窺い、危急を白法師へ告げに来たのだ。
「悪いことは申しませぬ。早くお逃げ遊ばすよう。白法師狩りの者どもが間もなくやって参りましょう。どうぞどうぞ、一時も早く山をお立ち去り遊ばすよう」
 云っているうちも気遣わしそうに岩太郎は四辺を見廻した。
「いや」
 と白法師は静かに云った。「私《わし》は何者をも恐れない。私は決して逃げはしない」
「危険でございます白法師様!」
「いや」とまたもしずかに云った。「いや私には危険はない。私には深い自信がある。……これまでも彼らは幾度となくこの私を捉《とら》えようとした。しかしいつも失敗であった」
「はいさようでございます。仰《おお》せの通りでございます。しかし今度は、今度ばかりは安閑としてはおられませぬ」
「それも私には解っておる。彼らは彼らの守り本尊を私に穢されたと思っているらしい。がそれは間違っている。……黄金の甲冑《かっちゅう》を盗んだものは私ではなくて他にある」
「おっしゃるまでもござりませぬ」
 岩太郎は頭を下げた。「尊い尊いあなた様がなんでさようなことをなされましょう。とは云え部落の者達は甲冑を盗んだはあなた様だと思い詰めておるのでござります。草を分け枝を切っても今度こそは逃がしはせぬと、部落の男女子供まで一人残らず馳せ集まり、人数おおよそ五百人余り山を囲んでさっきから探しておるのでござります」
「なるほど」
 と法師は眼をとじてしばらくじっと考えていたが、「断じて私《わし》は逃げはせぬ。――しかし山は去ることにしよう」
「それが安全でござります。何より安全でござります」
「いや、私には危険はない。このままこの山におるとしても、私には神の恩寵《おんちょう》がある。窩人達にも捕われもしまい。一度《ひとたび》私が手を上げたなら忽然《こつぜん》と山火事が起こるであろう。もしまた足を上げたなら雪崩《なだれ》が落ちても来よう。……以前《まえかた》私は山火事を起こし彼らの集会《あつまり》を妨《さまた》げたことがある。もっとも真実《まこと》の山火事ではない。ただそう思わせたばかりであっていわば幻覚《まぼろし》に過ぎなかったが彼らは恐れて逃げてしまった。……私は彼らを恐れてはいない。私の恐れるのは自分自身だ。……私はこの山へ一年前に来た。最初は数十人の信者があった。しかし今はただ一人――ただ一人お前が残ったばかりだ。なんとはかない私の力であろう! 人を説くにはまだ早い、人を教えるのは僭越《せんえつ》である。それで山を去ろうというのだ。去ってそうして尚一層自分自身を磨《みが》こうというのだ」
 この時ドッと鬨《とき》の声が眼の下の林から湧き起こった。得物を引っさげた窩人の群が雪を蹴立てて駈け上って来る。
 しまった! と岩太郎は心で叫び、
「もう遅いかも知れませぬが、いそいでお隠れなさいまし! 一刻も早く、白法師様!」
 しかし岩太郎がこう云った時にはもうそこにはいなかった。と見ると遥かの山の峰に何やら動くものがある。そうしてそこから風に伝わってこういう声が聞こえて来た。
「おさらばじゃ岩太郎! またお前達とも逢うだろう。それまではおさらばじゃ」
「ああ、あれが白法師様だ」
 岩太郎は呟《つぶや》いて岩の上から幾度も頭を下げたものである。

         二二

 宗介天狗のご神体が無慙《むざん》に傷つけられ穢《けが》されたことは、笹の平の窩人達にとっては正に青天の霹靂《へきれき》であり形容も出来ない恐怖であった。白法師さえ取り逃がしたので、彼らはすっかり絶望した。絶望に次いで混乱が来た。平和であった窩人部落は一朝に
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