幾度か代が変わっていて、杉右衛門も岩太郎も死んでしまい、別の杉右衛門と岩太郎とが、引率していたということですがね。そこで葉之助は云ったそうです。ありもしない宗介の甲冑など、いつまでも探すには及ぶまい。窩人――もっともその頃は、山窩《さんか》と云われていたそうですが、――山窩、山窩と馬鹿にされ、世間の人から迫害され、浮世の裏ばかり歩くより、いっそ一つに塊まって、山窩の国を建てた方がいいとね。……そこで皆んなも賛成し、鏡葉之助の指揮に従い、奥穂高へ行ったのだそうです」
私の好奇心は燃え上がった。で、翌日案内され、十石ヶ嶽まで行くことにした。
道は随分|険《けわ》しかったが、それでもその日の夕方に、十石ヶ嶽の中腹まで行った。
眼の下に広々とした谿谷《たに》があり、夕べの靄《もや》が立ちこめていた。しかしまさしくその靄を破って、無数の立派な家々や、掘割に浮かんでいる船が見えた。そうして太陽が没した時、電灯の輝くのが見て取れた。
夢でもなければ幻でもなかった。
彼らの国があったのである。
噂によれば、金木戸川《きんきどがわ》の上流、双六谷《すごろくだに》にも人に知られない、相当大きな湖水があり、その周囲には、水狐族の、これも立派な町があり、そうして依然二種族は、憎み合っているということである。
いつまでも活きている鏡葉之助、人間の意志の権化《ごんげ》でもあり、宇宙の真理の象徴でもある。
永遠に活きるということは、何んと愉快なことではないか。
しかし永遠に活きるものは、同時に永遠の受難者でもある。
そうしてそれこそ本当の、偉大な人間そのもの[#「そのもの」に傍点]ではないか。
それはとにかく私としては、自分自身へこんなように云いたい。
「ひどく浮世が暮らしにくくなったら、構うものか浮世を振りすて、日本アルプスへ分け上り、山窩国の中へはいって行こう。そうして葉之助と協力し、その国を大いに発展させよう。そうして小うるさい[#「うるさい」に傍点]社会と人間から、すっかり逃避することによって、楽々と呼吸《いき》を吐《つ》こうではないか」と。
私の故郷は信州諏訪、八ヶ嶽が東南に見える。
去年の秋にたった[#「たった」に傍点]一人で、笹の平へ行って見た。天保時代の建物たる宗介天狗の拝殿も、窩人達の住居もなかったが、その礎《いしずえ》とも思われる、幾多の花崗石《みかげいし》は残っていた。
その一つへ腰を下ろし、瞑想《めいそう》に耽《ふけ》ったものである。
秋の日射しの美しい、小鳥の声の遠く響く、稀《まれ》に見るような晴れた日で、枯草の香などが匂って来た。
「静かだなあ」と私は云った。
不幸な恋をした山吹のことが、しきり[#「しきり」に傍点]に想われてならなかった。
多四郎の不純な恋に対する、憤りのようなものが湧いて来た。
「浮世の俗流というものは全くもって始末が悪い。天狗の甲冑を盗むばかりか、乙女の心臓をさえ盗むんだからなあ」などと感慨に耽ったりした。
[#地付き](完)
底本:「八ヶ嶽の魔神」大衆文学館、講談社
1996(平成8)年4月20日第1刷発行
底本の親本:「八ヶ嶽の魔神」国枝史郎伝奇文庫、講談社
1976(昭和51)年4月12日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:六郷梧三郎
2008年8月14日作成
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