っ」に傍点]と眼を据えて紋兵衛の顔を見守った。しかし紋兵衛はもの[#「もの」に傍点]を云わない。
「どうやらこれも云えないと見える……後ろ暗いことでもあるのであろう」
「黙れ!」
 と突然狂気|染《じ》みた声で、大鳥井紋兵衛は怒鳴《どな》ったものである。彼はムックリと起き上がった。
「黙れ! 藪医者《やぶいしゃ》め! 何を吐《ぬ》かす!」
「何?」
 と北山も眼を瞋《いか》らせた。
「俺は正直の人間だ!」紋兵衛は大声で怒鳴りつづける。「後ろ暗えこととは何事だ! 俺は正直に働いて正当に金を儲けたのだ! それが何んで悪いのか!」
「うんそうか、それが本当なら、貴公はなかなか働き者だ。この北山|褒《ほ》めてやる……さほど正直に儲けた金なら何も隠すには及ぶまい。何をして儲けたか云うがいい」
「いいや云わねえ、云う必要はねえ! 何んで貴様に云う必要がある! それから云え、それから云え!」
「云ってやろう、俺は医者だ!」
「医者だからどうしたと云うのだい!」
「病いの基《もと》を調べるのよ」
「病いの基を調べるって? いいやそんな必要はねえ」
「貴公、可哀そうに血迷っているな」
「血迷うものか! 俺は正気だ!」
「病気の基を極《きわ》めずにどうして病いを癒すことが出来る」
「癒すにゃア及ばねえうっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]置いてくれ!」
「おお、そうか、それならよい」
 ズイと北山は立ち上がった。「今後招いても来てはやらぬぞ」
「…………」
「貴公、死相が現われておる。取り殺されるも長くはあるまい」
「わッ」と突然紋兵衛は畳の上へ突っ伏したが、
「お助けくだされ北山様! お願いでござります天野先生! 殺されるのは嫌でございます! 申します申します、何んでも申します!」
「おお云うか。云うならよい。天野北山聞いて遣わす。そうして病気も癒してやる……何をやって金を儲けた?」
「はいそれは……」
 と云いかけた時奥の襖がスーと開いて若い女が現われた。紋兵衛の娘のお露である。
「お父様」と手を支《つか》え、「只今お城のお殿様からお使者が参りましてござります」
「お使者?」
 と紋兵衛は不思議そうに、「ハテなんのお使者であろう?」
「ご病気見舞いだとおっしゃられました」
「どんなご容子《ようす》のお方かな?」
「はい」とお露は面羞《おもは》ゆそうに、「お若いお美しいお侍様で」
「さようか、そうしてお名前は?」
「鏡葉之助様と仰《おお》せられました」

         一三

 妖怪《あやかし》退治の命を受け、城を退出した葉之助は、小原村二本榎、大鳥井紋兵衛の宏大な邸を、供も連れず訪れた。取次ぎに出た若い女――それは娘のお露であったが、そのお露の姿を見ると、彼の心は波立った。
「美しいな」と思ったからである。しかしそれとて軽い意味なので、一眼惚れと云うようなそんなところまでは行っていない。
 一旦引っ込んだその娘が再びしとやかに現われた時、また「美しいな」と思ったものである。
 お露は夜眼にも知れるほど顔を赧《あか》らめもじもじ[#「もじもじ」に傍点]したが、
「むさくるしい処《ところ》ではございますが、なにとぞお通りくださいますよう」
「ご免」と云うと葉之助は、刀を提げて玄関を上がる。
 間《ま》ごと間ごとを打ち通り、奥まった部屋の前へ出たが、飾り立てた部屋部屋の様子、部屋を繋《つな》いだ廻廊の態《さま》、まことに善美を尽くしたもので、士太夫の邸と云ったところでこれまでであろうと思われた。それにも拘《かかわ》らず邸内が陰森《しん》として物寂しく、間ごとに点《とも》された燭台の灯も薄茫然《うすぼんやり》と輪を描き、光の届かぬ隅々には眼も鼻もない妖怪《あやかし》が声を立てずに笑っていそうであり、人は沢山にいるらしいが暖かい人気《ひとけ》を感じない。
「妖怪邸《ばけものやしき》と云われるだけあって、不思議に寂しい邸ではある」
 こう心で呟いた時、お露がスーと襖を開けた。
「父の病室にござります」
「さようでござるか」とツトはいる。
 北山はじめ附き人達は遠慮して隣室へ退ったので部屋には紋兵衛一人しかいない。病人というので褥《しとね》は離れず、彼は恭《うやうや》しく端座《かしこ》まっていたが、それと見て畳へ手を支《つか》えた。
 殿の使いとは云うものの表立った使者ではなく、きわめて略式の訪問なのだ。
「いやそのまま」と云いながら葉之助は座を構え、「邸に妖怪《あやかし》憑《つ》いたる由、殿にも気の毒に覚し召さるる。拙者《せっしゃ》今日参ったはすなわち妖怪|見現《みあら》わしのため。殿のご厚意|疎略《そりゃく》に思ってはならぬ」
「何しに疎略に思いましょうぞ。ハイハイまことに有難いことで……あなた様にもご苦労千万、まずお休息《いこい》遊ばしますよう
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