が一番斬り易いかな?」
こう押し詰めて来て葉之助は、「肩だ!」と叫ばざるを得なかった。
「肩ほど斬りよいものはない。相手の右の肩先から左の肋《あばら》へ斜《はす》に斬る。すなわち綾袈裟掛《あやけさが》けだ! 右へ逸《そ》れても腕を斬る。左へ逸れれば頸《くび》を斬る、どっちにしても急所の痛手だ。うんこれがいい」
と思い付いてからは、彼は何んの躊躇《ちゅうちょ》もせず袈裟掛けばかりを研究した。腕は既に出来ている、加うるに珍らしい天才である、それに一念が籠もっているのでその上達の速《すみや》かさ、半年余り経った頃にはかなり太い生の立ち木を股から斜めに幹をかけてサックリ木刀で割ることが出来た。
「宮本武蔵の十字の構えを、有馬喜兵衛は打ち破ろうと、木の股ばかりを裂いたというが、よも木の幹は割れなかったであろう――いかに松崎が偉いと云っても武蔵に比べては劣るであろう。もう一年、もう二年、練磨に練磨を積んだ上、松崎に試合を申し込み、清左衛門めを打ち据えてくれよう」
仮想の敵があるために、彼の技倆は一日一日と上達をするばかりであった。
こうして六年は経過した。葉之助は十八歳となり、一人前の男となった。
「おお葉之助か近う参れ」
ある日、それは夕方であったが、駿河守はこう云って鏡葉之助を膝近く呼んだ。
「は」と云って辷《すべ》り寄る。「何かご用でござりますか?」
「そちに吩咐《いいつ》けることがある」
駿河守は真面目《まじめ》に云う。
「は、何ご用でござりましょう?」
「今宵《こよい》妖怪《あやかし》を退治て参れ」
「して、妖怪と仰せられますは?」さすがの葉之助も不安そうに訊き返さざるを得なかった。
「そちも噂は聞いていよう。永く当家の金《かね》ご用を勤めるあの大鳥井紋兵衛の邸《やしき》へ、最近|繁々《しげしげ》妖怪|出《い》で紋兵衛を悩ますということであるが、当家にとっては功労ある男、ただし少しく強慾に過ぎ不人情の仕打ちもあるとかで、諸人の評判はよくないが、打ち棄《す》てて置くも気の毒なもの、そち参って力になるよう」
「は」
とは云ったが葉之助は、躊躇《ためら》わざるを得なかった。
いかにも彼はその噂を世間の評判で知っていた。久しい前から紋兵衛の邸へ異形《いぎょう》の怪物が集まって来て、泣いたり嚇《おど》したり懇願《こんがん》したり、果ては呪詛《のろい》の言葉を吐いたり、最後にはきっと声を揃え、「返してくだされ! 返してくだされ!」と、喚《わめ》き立てるというのである。世間の人の評判では、その異形な怪物こそは、紋兵衛のために苦しめられたいわゆる可哀そうな債務者の霊で、家や屋敷を取り上げられたのを死んだ後までも怨恨《うらみ》に思い、それで夜な夜な現われては、「返してくだされ! 返してくだされ!」と、喚き立てるのだというのであった。
一一
相手が兇悪な盗賊とかまたは殺人《ひとごろし》の罪人とか、そういうものを退治るなら一も二もなくお受けしようが、亡魂《ぼうこん》とあっては有難くない――これが葉之助の心持ちであった。
「主命を拒《こば》むではござりませぬが、私如き若年者より、他にどなたか屈強《くっきょう》なお方が……」
「いや」と駿河守は遮《さえぎ》った。「お前が一番適当なのだ。拒むことはならぬ、是非参るよう……新刀なれども堀川国広、これをそちに貸し与える。退治致した暁《あかつき》にはそちの差料《さしりょう》として遣わそう」
「そうまで仰せられる殿のお言葉をお受け致《いた》さずばかえって不忠、参ることに致します」
「おお参るか。それは頼もしい」
「ご免くだされ」
と座を辷《すべ》る。
「大事をとって行くがいいぞ」
「お心添え忝《かたじ》けのう存じます」
国広の刀をひっさげて葉之助はご前を退出した。
富豪大鳥井紋兵衛の邸《やしき》は、二本|榎《えのき》と俗に呼ばれた、お城を離れる半里の地点、小原村に近い耕地の中に、一軒ポッツリ立っていたが、四方に林を取り巡らし、濠《ほり》に似せて溝を掘り、周囲を廻れば五町もあろうか、主屋《おもや》、離室《はなれ》、客殿、亭《ちん》、厩舎《うまや》、納屋《なや》から小作小屋まで一切を入れれば十棟余り、実に堂々たる構造《かまえ》であったが、その主屋の一室に主人紋兵衛は臥《ふ》せっていた。
「灯火《あかり》が暗い。もっと点《とも》せ」
夜具からヒョイと顔を出すと、譫語《うわごと》のように紋兵衛は云った。年は幾歳《いくつ》か不明であったが、頭髪白く顔には皺《しわ》があり、六十以上とも見られたが、どうやらそうまでは行っていないらしい。大きい眼に高い鼻、昔は美男であったらしい。
「灯火は十も点っております」
附き添っている十人の中には、剣客もあれば力士もあり柔術《やわら》に達し
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