と構内を見る。どうして沈着《おちつ》いたものである。
 葉之助が現われるとほとんど同時にバタバタと稽古は止めになったので、構内には竹刀の音もない。変に間の抜けた様子であったが、つと[#「つと」に傍点]進み出たのは近藤|司気太《しきた》、
「鏡氏、一本お稽古を」
「いや」と葉之助は言下に云った。「二、三本どうぞお見せくだされ」
「へへえ、さようで」
 と近藤司気太妙な顔をして引っ込んだが、これは正に当然である。ご覧なされと引っ張り込んで置いて誰も一本も使わないうちにさあ[#「さあ」に傍点]立ち合えと云うのであるからポンと蹴るのは理の当然だ。
「偉いぞさすがは鏡家の養子」葉之助|贔屓《びいき》の連中はさもこそ[#「さもこそ」に傍点]とばかり溜飲《りゅういん》を下げた。
「ふん、チョビスケの近藤め、出鼻から赤恥をかかされおって」
 しかし一方若侍どもは悠々|逼《せま》らざる葉之助の態度を面憎《つらにく》いものに思い出した。
「誰か出て二、三本使ったらどうだ」
「しからば拙者」「しからば某《それがし》」
 五組あまりバラバラと出た。
「お面」「お胴」「参った」「まだまだ」
 ポンポンポンポン打ち合ったが颯《さっ》とばかりに引き退いた。
「おい近藤、行ってみるがいい」
「あいよあいよ」と厭《いや》な奴またノコノコ出かけて行き、「鏡氏、一本お稽古を」
「アッハハハハ」と大きな声で突然葉之助は笑い出した。
 近藤司気太驚くまいことか! 眼ばかりパチクリ剥《む》いたものである。
「剣術のお稽古とは見えませぬな。まるで十二月《ごくげつ》の煤掃《すすはら》いのようで、アッハハハ」とまた笑ったが、
「真剣のお稽古拝見したいもので」
「へへえ、さようで」と器量の悪い話、近藤司気太引き退ったが、「いけねえいけねえ拙者は止めだ。どうも俺には苦手と見える」
「生意気至極《なまいきしごく》、その儀なれば」と、若侍ども本気で怒り十組ばかりズカズカと進み出たが、烈《はげ》しい稽古が行われた。それが済むと白井誠三郎ツカツカ葉之助の前へ行き、
「あいや鏡氏、葉之助殿、ご迷惑でござりましょうが、承《うけたま》わりますれば貴殿には小野派一刀流、ご鍛錬とか。一同の希望《のぞみ》にもござりますれば一手ご教授にあずかりたく、いかがのものにてござりましょうや」
「本来私はこの場にはお稽古拝見に上がりましたもの、仕合の儀は幾重にも辞退致さねばなりませぬが剣道は私も好むところ、且つは再三のお勧めもあり……」
「それではお立ち合いくださるか?」
「未熟の腕ではござりまするが……」
「それは千万|忝《かたじ》けない」
 してやったり[#「してやったり」に傍点]とニタリと笑い、「して打ち物は?」
「短い竹刀を……」
「しからばご随意にお選びくだされ」
 ワッと一同これを聞くと思わず声を上げたほどである。
 つと[#「つと」に傍点]立ち上がった葉之助はわずか一尺二寸ばかりの短い竹刀を手に握ると仕度《したく》もせず進み出た。
「あいや鏡氏、お仕度なされ」
 見兼ねたものかこの時初めて石渡三蔵が声を掛けた。
「私、これにて充分にござります」
「面も胴も必要がない?」
「一家中ではござりまするが流儀の相違がござります。他流試合真剣勝負、この意気をもって致します覚悟……」
「ははあさようかな。いやお立派じゃ……ええとしからば白井氏も、面胴取って立ち合いなされ」
「これはどうもめんどう[#「めんどう」に傍点]なことで」
 白井誠三郎不承不承に面や胴を脱いだものの、ここで三分の恐れを抱いた。
 居流れていた門弟衆も、これを聞くと眼を見合わせた。
「何んと思われるな佐伯氏? この試合どう見られるな?」「ひょっと[#「ひょっと」に傍点]するとアテが外れますぞ。相手の勢いがあまりに強い」「藪《やぶ》をつついて蛇を出したかな」
 葉之助贔屓の連中はこれに反して大喜びだ。
「見ておいでなされ白井誠三郎、一堪《ひとたま》りもなくやられますぜ」「全体あいつら生意気でござるよ。こっぴどい[#「こっぴどい」に傍点]目に合わされるがよい」
「静かに静かに、構えましたよ」
「どれどれ、なるほど、青眼ですな……おや白井め振り冠りましたな」
「葉之助殿の位取り、なかなか立派ではござらぬか。あれがヒラリと変化すると白井誠三郎|刎《は》ね飛ばされます」

         五

 今や葉之助は中段に付けて、相手の様子を窺《うかが》ったが問題にも何んにもなりはしない。で、葉之助は考えた。
「かまうものか、ひっぱたいて[#「ひっぱたいて」に傍点]やれ」
 トンと竹刀を八相に開く。誘いの隙でも何んでもない。まして本当の隙ではない。それにもかかわらず誠三郎は、「ヤッ」と一声打ち込んで来た。右へ開いて、入身《いりみ》になり右の肩を袈裟掛《け
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