た。

 小屋の中は暖かった。焚火《たきび》が元気よく燃えている。
 山吹はじっ[#「じっ」に傍点]と坐っていた。
 その眼は焚火を見詰めていたが心は別のことを考えていた。良人《おっと》の帰りを待っているのだ。多四郎の帰るのを待っているのだ。
 多四郎は容易に帰って来ない。――帰らないのが当然《あたりまえ》である。彼は彼女を振りすてて城下へ帰って行ったのだから。
 しかし彼女はそんなこととは夢にも考えはしなかった。で、熱心に待っていた。
 戸外《そと》では吹雪が荒れていると見えて、枝の折れる荒々しい音が風音に雑《まじ》って聞こえて来た。
 不意に彼女は顔を上げ窓の方へ眼をやった。
 コトンコトンと音がする。
 彼女は物憂《ものう》そうに立ち上がり窓の戸を引き開けた。口の尖った、眼の優しい熊の顔が現われた。窓から覗いているのである。
 山吹は寂しそうに笑ったが、
「おおおお今日も大雪で山には食物《くいもの》がないと見える」
 こう云いながら鍋を取り上げ食べ残りの雑炊《ぞうすい》を投げてやった。と、熊の顔はすぐ引っ込みやがて雑炊を食べるらしい舌打ちの音が聞こえて来た。それが止むと同じ顔がまた窓へ現われた。
「もうないよ。あっちへお行き」
 こう云いながら手を振ると、熊は二、三度|頷《うなず》いたが、スッと窓から消えてしまった。
 そこで山吹は窓を閉じ元の場所へ帰って来た。じっと焚火を見詰めながら、また物思いにふけるのである。
 夜は次第に更けて行った。
 彼女はいつまでも待っていた。身動きさえしないのである。
 その時足音が聞こえて来た。しかし人の足音ではない。シトシトシトシトと小屋の周囲《まわり》をその足音は廻り出した。しかも多勢の足音である。それはどうやら犬らしい。甘えるような泣き声がクーン、クーンと聞こえて来た。
「おや来たんだよ、お爺さん達が」
 呟きながら山吹はまただるそう[#「だるそう」に傍点]に立ち上がると入口の戸を開けてやった。その戸口からはいって来たのは五匹の凄じい狼であった。全身、雪で白かったが鼻面ばかりは赤かった。生血《なまち》に塗《まみ》れているのである。
 権九郎の死骸を食い荒らしたその五匹の狼達であった。
 しかも一匹の狼は肉の着いた骨をくわえていた。それは権九郎の骨なのである。しかしもちろん山吹はそんなことは夢にも知らない。で、彼女はこう云
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