》させようと思い付いて、白|皚々《がいがい》たる八ヶ嶽を上へ上へと登って行き、猪を見付ければ猪と闘い熊を見付ければ熊と争い、狐を殺し猿を生け捕りあらゆる冒険をやるのであった。
杉右衛門の心持ちも悲惨であった。彼は部落の長《おさ》だけに深く責任を感じていた。そうして長となるだけあって宗介天狗を尊ぶ情と部落を愛する心持ちとは人一倍強かった。
「部落の長たる自分の娘が宗介天狗のお心持ちに背《そむ》き下界の若者と契《ちぎ》るさえ言語道断の曲事《くせごと》だのに、部落を捨ててどことも知れず姿を隠してしまうとは何んという不心得の女であろう」
しかし、そう思う心の端から、
「身分違いの部落の女が、下界の男と契ったところでやがて捨てられるは知れたことだ、一旦山を下りたからは二度と再び帰って来ることは出来ぬ。人里にも住めず山にも帰れず、その時いったいどうするぞ? 首を縊《くく》るかのたれ[#「のたれ」に傍点]死にをするか? どっちにしても可哀そうなものだ」
惻隠《そくいん》の情が起こるのであった。
爾来《じらい》杉右衛門は憂欝《ゆううつ》になった。自分の家の囲炉裡《いろり》の側からめったに離れようとはしなかった。薪《たきぎ》を燃やし焔《ほのお》を見詰めじっ[#「じっ」に傍点]と思案にふけるばかりで、楽しい酒宴の座へも出ず好きな狩猟《かり》さえ止めてしまった。
十年前に妻を死なせ、女気といえば娘ばかり、その娘に逃げられた今は家には杉右衛門ただ一人。時々同じ愁《うれ》いを抱いた岩太郎が訪ねて来るばかりである。
今日も烈《はげ》しい吹雪《ふぶき》であった。
どうやら熊でも捕れたらしい。いわゆる恐ろしい「熊吹雪」である。
杉右衛門はじっと考えている。自在鉤《じざいかぎ》には薬缶《やかん》が掛かり薬缶の下では火が燃えている。
もう夕暮れに近かった。部屋の中はほとんど暗い。しかし行灯《あんどん》は灯してない。が杉右衛門の姿だけは焚火の光で明瞭《はっき》り見える。
その時表の戸が開いて若者がノッソリはいって来た。
「おお岩か」
とそれと見ると、物憂《ものう》そうに杉右衛門が声をかけた。
「ああそうだよ。俺《おい》らだよ」
こう云いながら岩太郎は囲炉裡の側へ近寄って来たが杉右衛門に向かい合って胡座《あぐら》を掻いた。見ると手に白鳥《はくちょう》を下げている。
「爺《とっ》つ
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