、それと一緒に息絶えた。
 初めてホッとした葉之助は、昏倒している頼正を片手を廻して背中に負い、片手で血まみれの槍を突き、階段を下りて庭へ出た。
 部落は幸いにも寝静まっている。これほどの騒動も知らないと見える。
 で、葉之助は静々と水狐族の部落を引き上げて行く。
 部落を抜け田圃へ出《い》で湖水に添って引き上げて行く。
 妖婆の呪詛《のろい》の言葉など、彼にとっては何んでもなかった。若殿頼正を救ったこと、禍《わざわ》いの根を断ったこと、堕ちた名誉を恢復《かいふく》したこと、これらが彼には嬉しかった。
 こうして彼はその夜の暁方《あけがた》、高島城の大手の門へ、血まみれの姿を現わした。

   怨念復讐の巻

         一

 鏡葉之助の槍先に久田の姥が退治られて以来、諏訪家の若殿頼正は、メキメキと元気を恢復した。
 使命を果たした葉之助は、非常な面目を施した。彼の武勇は諏訪一円、武士も町人も賞讃した。彼に賜わった諏訪家の進物は、馬五頭でも運び切れなかった。
 いよいよ諏訪家に暇《いとま》を告げ、彼は高遠へ帰ることになった。諏訪家では一流の人物をして、彼を高遠まで送らせた。
 さて高遠へ着いて見ると、彼の功名は注進によって既《すで》に一般に知れ渡っていた。だから大変な歓迎であった。
 いかに阿呆《あほう》を装っても、もう誰一人葉之助を愚《おろ》か者とは思わなかった。彼は高遠一藩の者から、偶像とされ亀鑑《きかん》とされた。
「葉之助様がお帰りなされたそうで」
「おお、お帰りなされたそうだで」
「大変にご功名をなされましたそうで」
「そういうお噂だ。結構なことだ」
「お偉いお方でございますのね」
「まず高遠第一であろうな」
「あの、それに私達には、ご恩人でございますわ」
「そうともそうとも、恩人だとも」
「あのお方がおいでくだされて以来、妖怪《あやかし》が出なくなりましたのね」
「おおそうだ、有難いことにな」
「お礼申さねばなりませんわ」
「私もとうからそう思っているのさ」
「どうしたらご恩が返されましょう」
「さあ、そいつが考えものだて」
「まさかお金も差し上げられず……」
「相手はご家老のご子息様だ、そんな事は断じて出来ない」
「では、品物も差し上げられませんのね」
「とてもお納めくださるまいよ」
「ではお父様いっそのこと、お招待《まね》きしたら、いかがでし
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